現地発・“AsiO Gusto” 2013

投稿日 2013年10月05日

韓国のソウル郊外・南楊州(ナミュヤンジュ)市で、10月1日から6日までスローフードの国際大会「AsiO Gusto」が始まりました。この催しはスローフードインターナショナルが2年に一回、イタリアのトリノで開くサローネ・デル・グスト(味覚の集まり)をモデルとし、南楊州市が全面的にバックアップする「食」の大規模な展示&学習のイベントです。日本ではテッラ・マードレ(大地の母)などのイベントを各地の支部(コンビビウム)が開催し、スローフードジャパンは形の上でそれを主催あるいは共催しています。しかし、スローフードコリアのようにそれぞれの国の組織が開催国以外に参加を呼びかける国際的な催しは、AsiO Gustoがアジアでは初めてです。

南楊州市は、ソウルのベッドタウンとしてここ20数年で人口が2倍以上増た新興住宅地。日本の同じような地域と同様、農業地域だった南楊州市にも開発の波が押し寄せました。開発にともなう八堂ダムの建設によりダム湖周辺の農家は水源の環境を守るため有機農業を取り入れ、南楊州市はいまでは韓国を代表する有機農業地帯です。最近そのダム湖への未処理下水の放流が発覚しましたが、2年前にはIFOAM(世界有機農業連盟)による世界有機農業大会が開かれました。
AsiO Gustoの開会式は様々なアトラクションで始まり、地元の政治家多数の挨拶に続きスローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さんの挨拶もありました。療養中のカルロ・ペトリーニ会長と重要なプロジェクトを抱えるアリス・ウォーター副会長は出席できずビデオメッセージが流され、最後にパオロ・クローチェ事務局長がスローフードの新たな展開を語りました。スローフードは今後、アフリカでの菜園計画と、Ark(味の箱舟)の拡大を中心に活動してゆきます。

日本からはAsiO Gusto に9つの支部(コンビビウム)の34人が参加しました。
新たな活動を始めた日本のArk(味の箱舟)には展示コーナーが設けられ、とくに最近Arkに登録された長崎県・対馬の「せん」は、水で練った実物が展示され入場者の目を引いていました(→右)。「せん」はサツマイモを乾燥させた粉で、麺などにして食べます。
また、『生物多様性』をテーマにSF長崎の岩崎さんが(↓下左)、『発酵食品』でSF北海道の高橋さんが、『味覚教育』で学習院女子大の品川さんが(↓下右)、『食べ物と霊性』でSFすぎなみTOKYOの佐々木さんが、それぞれプレゼンテーションをしました。

日本からの参加者によるさまざまなワークショップも予定されていましたが、じつは日韓の行き違いで予定から抹消されてしまったものもありました。そこで、参加者が韓国側の担当者と直接交渉して実現したのが、SF長崎・SF高知・SF山形による3支部合同ワークショップです。開催が急遽決まったにもかかわらずインターナショナルパビリオンの会場には予想以上の入場者が集まり、高知のユズ酢を使った伝統寿司、長崎の雲仙コブ高菜の漬け物、山形の花づくり大根の漬け物の3点セットを試食しました(↓上・下左)。SF北海道の「おにぎり」(↓下右)、SF山形の「紅花」、SF長崎の「フードコンシャスネス」のワークショップは計画通り行われました。さらに、日本のナショナルデーには、SFすぎなみTOKYOにより西伊豆の鰹節が紹介されました。

 

AsiO Gustoの会場は、サッカーコートや体育館がある南楊州体育文化センターです。広い敷地に大型テントが4つ建てられ、出展ブース用の小さなテントも多数並んでいます。日本からの参加者の多くは山中の体育施設に合宿し、会場・空港へはシャトルバスが出ます。中国・インドネシア・フィリピン・ベトナム、遠くはカザフスタンやグルジアなど10数カ国の人々にも、食事(←右)、宿が無料で提供され、一部の国には航空券も支給されます。これら4億3千万円を超える費用を集め、多くをボランティアによってこのAsiO Gustoを運営するスローフードコリアの組織力には感服します。入場者は、この報告を発信中の10月5日午後3時の段階で、計画の30万人を上回る34万人に達しています。残念ながら、いまのスローフードジャパンにはそんな力量はありません。もちろん、このような大きなイベントを開催することがスローフード運動の目的ではありませんが、そのイベントによってスローフードの国内外のメンバーが交流するだけではなく、スローフードの存在が多くの人に認知されることも事実です。

夕食に立ち寄った市内の小さな食堂で隣り合わせた若い女性たちが、スローフードについて知っているのには、驚きました。スローフードはメンバーの内側だけで語られる運動ではなく、その存在をスローフードの外に向かって語り、呼びかけ、巻き込む運動です。日本と韓国のスローフードの違いを超え、スローフードという国際的大きなな流れのなかにいることが実感できる日々です。その流れの底には、食べる喜び、楽しさ、「こだわり」があります。

 

 

食育 at 湘南ベルマーレのサッカー教室  スローフード秦野からのたより

投稿日 2013年04月17日

スローフード秦野は、3月31日秦野市中央運動公園で、サッカーJ1リーグチーム / 湘南ベルマーレが開催したサッカー教室「サッカー・ファミリー・フェスタ」のプログラムのひとつとして「食育ラリー」を行いました。この「食育ラリー」は、サッカーを練習する5~7歳児とその親たちに、食べ物について正しい知識を伝えることを目的としています。スポーツとスローフードを結びつけようという試みは、日本ではもちろん初めて、世界でも聞いたことがありません。

この日、会場の秦野市中央運動公園の横を流れる水無川の土手は桜が満開でしたが、天候は一ヶ月後戻りした2月のような寒さ。その寒さにも関わらず、「サッカー・ファミリー・フェスタ」には150名を超える親子が集まりました。3回に分けられて開かれた「食育ラリー」には、そのうち約4分の一の合計40人あまりが参加。複数の子供を連れた親が目立ちました。
「食育ラリー」は、まず管理栄養士・料理研究家の小島麻衣子さんの「皆さ~ん、朝ご飯は食べてきましたかァ?」という質問から始まります。つづいて、市内のお茶生産者・山口勇さんが秦野名産の落花生のぬいぐるみ一緒に秦野の農業について説明し、いよいよ本番です。小島さんが「食育カルタ」と食品サンプルなどで語る食べ物の正しい知識に、子供たちは活発に反応します。「食育カルタ」は、3年前のスローフードジャパン奈良総会の時に奈良教育大学の学生たちが発表した食育のためのメソッドです。とくに、食品表示の内容と意味の説明には、子供だけではなく親たちも熱心に耳を傾けていました。

このプログラムを企画した湘南ベルマーレの横山由梨さん(スローフード秦野メンバー)は、「子供たちの身体的なパフォーマンスは、だいたい8歳位までで基礎ができます。この時期に、食習慣を通してそのパファーマンスを上げ、サッカーを楽しんでもらいたいと思いました」スローフード秦野では、湘南ベルマーレと一緒に、今後もこの「食育ラリー」を継続する計画です。神奈川県は、かつて中田英寿も在籍したJ1リーグの湘南ベルマーレ、横浜FマリノスのほかにJ2の横浜FCなどプロチームが三つ、U-18のリーグもあるサッカーが盛んな土地柄です。スローフードを日本に根付かせるためには、スローフード秦野のこの試みのようにそれぞれの支部(コンビビウム)の地元や地域に即した独自の活動が必要です。

3月16日、秋田県・角館で                                        スローフードジャパン総会開催

投稿日 2013年04月17日

3月16日、秋田県・仙北市でスローフードジャパン第12回全国大会が開かれました。この大会は、スローフードジャパンが2008年にNPO法人化してから第6回目の会員総会です。

大会が開かれた3月は、秋田県内各地で雛祭りに関わるイベントが行われます。会場となった仙北市の第三セクター角館温泉「花葉館」のロビーにも、そこからバスで約30分離れた親睦会会場の温泉「ゆぽぽ」のロビーにも、雛人形が飾られていました。まだ雪深い山間で、春を待つ心が伝わってくるような会場でした。
総会に先立ち、スローフードジャパン発足後8年ぶり第2回目となる、2005年以来開催されなかった「Ark(味の箱舟)担当者会議」が行われました。参加したのは13支部(コンビビウム)、20名あまり。スローフードインターナショナルが提唱するArk(味の箱舟)・Presidio(味の砦)プロジェクトは、このままでは消滅してしまうかもしれない伝統的な食材・食品をリストアップし、保護する活動です。今大会開催時点で会員実数(会費納入者)が1,000人を下回ったスローフードジャパンにとり、活動再生のキーのひとつとなるのが、このArk(味の箱舟)・Presidio(味の砦)プロジェクトです。フリートークに近い会議では、会議出席者同士のコミュニケーションを図る、全国のArk(味の箱舟)登録食材・食品がわかるようなパンフレットを作って欲しいなど、活発な論議が交わされました。

総会では、大きな決定が二つありました。
ひとつは、スローフードジャパンが抱える約880万円の負債について。この負債は、債権者の代表である若生裕俊さん(スローフードジャパン前会長)との間で、現会長や事務局長など「執行部」の個人名を記さない確認書を交わし、企業が名刺にスローフードの専用ロゴマークを使える「アミーチ・ディ・スロー」プロジェクト(http://www.slowfoodjapan.net/blog/2011/01/01/1983/)などの収益金で返済することが承認されました。
ふたつめは、日本の農業を巡る最大の問題であるT.P.P.加盟についてです。これについて、「スローフードジャパンはT.P.P.に関してとくに方針を定めない。賛成か反対か、各コンビビウム(支部)が独自に取り組めば良いことだ」との見解が、地元スローフード秋田の会長でスローフードジャパン副会長、東京在住の石田雅芳さんから示されました。この見解は、「ほかの農業団体などからT.P.P.反対で連携しないか、という働きかけがあるが、どうしたらよいのか?」というスローフード山形の質問に対する回答として出されましたが、充分な討議がされないままスローフードジャパンとしての見解となりました。秋田県はかつて八郎潟の大規模開拓と米の減反政策など国の農業政策に振り回され続け、T.P.P.の影響を大きく受けると予想される稲作県のひとつです。さらに、スローフードインターナショナルはEUの農業政策に積極的に関与して政治的な提言をしています。スローフードは農業政策への疑問から始まりました。T.P.P.に対するスローフードジャパンのこの見解は、これからの日本のスローフードの行方を決める大きな決定となるでしょう。
また、特別参加したスローフードコリア(韓国)のキム・ビョンスさんたちから、今年10月1日から6日までソウル近郊のナミャンジュ(南楊州)市で開かれる『2013 AsiO Gusto』(テッラ・マードレとアジア・オセオニア地域スローフード国際大会)のプレゼンテーションがありました。
日本のスローフードがイタリアに学ぶ時期は、すでに終わりつつあります。いまは、食文化も社会状況もイタリアとは大きく異なる日本で、そして東日本大震災と原発事故を経験した日本で、いかにアクションを起こし、人とつながり、スローフードの新たな動きを生み出してゆくのか、組織の在り方ではなく運動の実効性が問われています。

総会に先立つ前夜祭は、畳に座って角館風御膳料理を食べるオールドスタイルの宴会。宿泊は8畳間に7人で眠る合宿風。総会後の親睦会は場所を移動して、温泉「ゆぽぽ」の料理長が秋田の食材を使った心尽くしのビュッフェ。まさに、秋田らしい素朴な総会でした。                              (↓写真下:大会に参加したスローフード気仙沼のメンバー)

 

イタリアのプレシディオ野菜、                                                               カルド・コッボをバーニャカウダで味わう

投稿日 2013年02月13日

 

スローフードは、社会の変化によって消滅してしまう可能性がある食品・食材をArk of Taste(味の箱舟・アルカ)としてリスト・アップしています。 さらに、アルカより厳格な条件を満たした世界中の365品目(2012年8月現在)を、Presidia(味の砦・プレシディオ)に指定して保護に努めています。プレシディオのひとつに登録されているのが、イタリア・アスティ市郊外で採れるカルド・コッボという葉野菜です。そのカルド・コッボを、生産者のボンジョバンニさんが私たちへ個人的に送ってくださいました。
そこで、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックと貴重な食品・食材のリストアップを進めるArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、ボンジョバンニさんのカルド・コッボをバーニャカウダで食べる会を開きました。人と人のつながりがあれば、スローフードが掲げる国際性は組織に頼らなくてもこんな形で実現できます。スローフードを生むのは、人間とその魅力です。

ボンジョバンニさんが住むニッツァ・モンフェラット村へは、イタリア北部の都市トリノから車で約1時間。じつは、昨年10月トリノで開かれたスローフードの国際的なイベント「テッラ・マードレ&サローネ・デル・グスト」に参加したArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、プレシディオ(味の砦)の生産現場を見学するためにニッツァ・モンフェッラット村を訪れたのです。ボンジョバンニさんが生まれた約70年前、カルド・コッポは市場で人気があり、ボンジョバンニさんは「私はカルド・コッボの間から生まれたんです」と、笑いました。

カルド・コッボは、茎を軟白化(柔らかく)させた葉野菜です(↑写真上)。日本にも、同じように茎を柔らかくさせる葉野菜があります。Ark(味の箱舟)に登録されている山形県の「雪菜」です。雪菜の場合は雪の中に寝かせて茎を柔らかくしますが、イタリアのカルド・コッボは土に寝かせます。ところが、カルド・コッボが売れるようになると充分に軟白化させない物が出荷されるようになり、味の評判が落ちて売れなくなりました。伝統的な方法で作り続けるボンジョバンニさんのカルド・コッボが、テレビの番組で放映されて売れるようになったのは10年ほど前からです。そして、ローマやナポリのレストランから注文が来るようになりました。ボンジョバンニさんが一人で守ったカルド・コッボは2006年にプレシディオ(味の砦)に認定され、彼はスローフードの名誉会員証をうれしそうに見せてくださいました。カルド・コッボは、まるでセロリのようです。トリノ近郊に住む人の協力で日本に来たボンジョバンニさんのカルド・コッボは、まず茎を分けて筋を取り、収穫してから時間がたつと生まれるエグ味を、レモン水に浸して取りました。

スローフードのプレシディオ(味の砦)に日本で唯一登録されているのは、長崎県の「雲仙こぶ高菜」です(↑写真上右)。その「雲仙こぶ高菜」を、雲仙市で伝統野菜を栽培している岩崎さん(スローフード長崎会長・↑写真上左)が送ってくださいました。岩崎さんは「雲仙こぶ高菜」だけではなく、カルド・コッボと一緒にバーニャカウダで食べる「女山大根」「長崎赤蕪」なども送ってくださいました。地域に伝統的な食品・食材を維持・復活させるのが、Ark(味の箱舟)の目的です。そこで、カルド・コッボの生産地直伝レシピで作るバーニャカウダには、日本で最初にArk(味の箱舟)にリストアップされたもののひとつ「エタリの塩辛」を使いました(↓写真下の下段)。本場のバーニャカウダには、オイル漬けのアンチョビ(カタクチイワシ)ではなく塩漬けのアンチョビが使われますから、「エタリの塩辛」は最適です。さらに、ワインはメンバーの一人がイタリアで手に入れたバローロ、バルバレスコ。バローロは1980年代品質が悪化し、スローフード運動が生まれるきっかけになったワインです。

使われた食品・食材が、ほとんどスローフードに関わるもので開かれたこの日のカルド・コッボの試食会は、スローフード的に考えると夢のように豪華な宴でした。会場が個人の住宅だったため参加人数を制限せざるえませんでしたが、集まったのはスローフードすぎなみTOKYOをはじめ、スローフード東京・東京Bay・横浜など東京/神奈川ブロックの4つの支部(コンビビウム)のメンバーと関係者。まさに、スローフードを支えるのは、会議ではなく人と人のつながりなが生む喜びであることを実感できた一夜でした。スローフードは、食べる喜びから社会や経済を変えてゆく運動です。
ボンジョバンニさん、岩崎さん、ありがとうございました。

現地直伝レシピ : 塩漬けアンチョビで作るバーニャカウダ

                            by 黒川陽子 / Ark(味の箱舟)委員長

材料
塩漬けアンチョビ(カタクチイワシ *オイル漬けではない)、ワインビネガー適量、オリーブオイル200g(リグーリア州タジャスカ種のものが好ましい)、ニンニク5片、牛乳適量、酢小さじ1/2(一人あたり)、唐辛子適量(隠し味)、バター小さじ1 (一人あたり)

作り方
①塩漬けにしたアンチョビを、ワインビネガーに30~40分漬け込み、塩抜きをする。
②アンチョビを3枚におろして水気を切り、内臓を取り除く。1人分100gを用意して、身をほぐす。
③ニンニクの芯を取り、柔らかくなるまで牛乳で煮る(水で煮る場合は、ニンニクが柔らかくなるまで3回ほど水を替える)。
④ ③をつぶし②のアンチョビと合わせ、オリーブオイルをヒタヒタになるまで加える。
⑤ ④を入れた器を火にかけ、アンチョビが溶けてなくなるまで混ぜる。
⑥酢、バター、唐辛子を入れて仕上げる。
⑦ ⑥のソースに野菜を浸して食べる。

                                      

スローフード横浜からのたより

投稿日 2012年09月29日

スローフード横浜がメンバーの総力をあげて美味しい食材を集め、元町のイタリアン「リストランテ・グランドゥーカ」斉藤シェフの料理を食べる会を開きます。この会は、昨年11月には、メンバーが相模湾で獲れるカタクチイワシで試作した「湘南アンチョビ」を味わうなど、美味しさに関わるさまざまな活動をしています。今回は、この夏NHKの番組『キッチンが走る!』で紹介された市内西谷の苅部さんの野菜や、チーズのプロフェッショナル村松綾子さんの講習が楽しめます。美味しさは、スローフードの原点です。
2012年秋のスローフード横浜イベント情報
(写真はすべて、昨年11月の「湘南アンチョビを食べる会」)

日時:10月13日 午後5時30分~
場所:リストランテ・グランドゥーカ元町店
  ☎045-663-0790 http://www.granduca-jp.com
会費:3,000円(非会員3,500円)
申し込み:090-3384-4560 井上

(↑写真右下は、味の比較のために付け合わされた長崎の「味の箱舟」エタリ)

スローフードでつながる⑥ 7月20日

投稿日 2012年08月01日

国際的な運動であるスローフードの支部は、スローフードという言葉がイタリアで生まれたこともあってコンビビウム(convivium)と呼ばれています。コンビビウムとはラテン語で<饗宴・一緒に食べる>を意味しますが、語源は<ともに生きる>です。日本訪問の最終日、スローフードベルリンのメンバーは、栃木県足利市のワイナリー『ココファーム』を訪ねました。ココファームでは、知的障害を持つ人々がブドウを栽培し、ワインを作り、ともに生きています。

前日までが嘘のような肌寒さえ感じたこの日、スローフードベルリンのメンバーは貸し切りバスで栃木と群馬の県境に近い足利市へ向かいました。そこには、山の40度近くの急斜面にブドウ畑があります。「ドイツにも、こんな傾斜地のブドウ畑が多いんだ……」と、メンバーの一人がつぶやきました。そこは、かつて日本の学校で「特殊学級」と呼ばれていたクラスの先生と障害を持つ子供たちが、1950年代から農作業による自立を目指して開墾したブドウ畑です。
ココファームには、うれしいサプライズが待っていました。ココファーム専務でスローフード栃木のメンバーでもある池上知恵子さんが、ブドウ畑の頂上の広場に冷えた『NOVO』を用意して待っていたのです。シャンペンタイプのワインNOVOはココファームのトップブランドで、2000年沖縄サミットの公式晩餐会の乾杯に使われました。眼下にココファームのワイナリー、遠くに足利の市街地を望む広場での乾杯に、一行は大喜び。清らかな空気とNOVOを堪能しながら、しかしさすがにドイツの支部だけあって、ココファームのブドウに関する専門的な質問がいくつも池上さんに投げかけられました。

ココファームは、日本で有機農法が語られるずっと前から、除草剤をまったく使わずブドウを栽培してきました。それは、入園者が働くために草取りという人手のかかる作業を意図的に用意する必要があったからと、入園者が畑に落ちている物を拾って口にしても安全にしなければならなかったからです。多くの入園者がブドウ作りの農作業をしながらここで長期間生活をともにしています。なかには、入園者同士で結婚する人も、ここで一生を終える人もいるそうです。
ココファームでは安全なブドウを作り、そのブドウから美味しいワインを作り、そしてそのワインを売って人々が暮らしています。人と農業と経済のつながった輪が、そこにありました。スローフードという言葉が島村菜津氏の著書『スローフードな人生!』(新潮社刊)で日本に輸入される以前から、そこには本来の意味でのコンビビウム(convivium)があったのです。

ブドウ畑を見上げる麓のレストランで、ココファームのさまざまなワインを味わいながら、あるベルリンのメンバーがこう言いました。
「この旅の終わりに、これほどふさわしい場所はありません」
ココファームには、人々がともに生きる眼差しがあふれています。人と人がちゃんとつながっていれば、ことさら<交流>を言い立てなくても、スローフードのコミュニケーションは言葉や地域を超えて広がるのです。スローフードのきずなは組織ではなく、人が作ります。

スローフードベルリンの日本訪問には、スローフードドイツが2ヶ月に一度発行する雑誌『SlowFood』の編集長Martina Tschirner(マルティーナ・チルナー)さんが同行していました。スローフードドイツは、会費75€(ユーロ)で、会員数約11,000人。毎年、ドイツ南部のシュツットガルトで SlowFood Messe を開き、約6万人を集めます。また、“Teller Statt Toune”という規格外野菜や食の廃棄物を活かす運動や、最近は農業政策の変換を求めて農家のトラックターでデモを行うなど政治活動もしているそうです。ドイツの『SlowFood』誌は1号28,500部発行され、一般書店でも一冊4€で販売されています。今回の日本訪問のレポートはスローフードジャパンから発表されるのではなく、スローフードドイツが発行するその雑誌にドイツ語で掲載される予定です。

スローフードベルリンの会員数は、日本とは少し会員システムが異なりますが、約500人。さまざまなグループに別れて活動しています。そのひとつの料理研究グループのメンバーでベルリン在住の河野章子さんが、スローフードベルリン日本訪問の原動力でした。さらに、一行の滞在中はずっと日本語とドイツ語の通訳をしてくださり、とくに会話が活発に交わされる食事の席などで河野さんはゆっくり料理を味えず、申し訳なく思っています。お疲れ様でした。本当にありがとうございます。
河野さんがいなければ、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックの各支部やスローフード気仙沼と、スローフードベルリンとのきずなは生まれませんでした。

日本を訪れたスローフードベルリンの仲間

エルケ・マイヤー(Elke Meier)さん/トーマス・マレック(Thomas Marek)さん
ヘンナー・ゼンフ(Henner Senf)さん/ウルリヒ・グライナー(Urich Greiner)さん
シモーネ・ツォロ(SimoneZorr)さん/クリスティアン・ツォロ(Christian Zorr)さん
ニック・チルナー(Nick Tschirner)さん/マルティーナ・チルナー(Martina Tschirner)さん
ハドソン・レッドウォン(Hudson Ledwon)さん/ペートラ・ブラートフィシュ(Petra Bratfisch)さん
河野章子さん/河野直登さん

スローフードでつながる⑤ 7月19日
東日本大震災を経て

投稿日 2012年07月29日

じつは、スローフードベルリンが日本を訪れる構想は2年前からありました。しかし、連絡取り合いながら計画を考えていた去年3月、東日本大震災が起きたのです。そのとき、ベルリンのメンバーは、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックがいち早く掲げた<顔の見える相手への直接支援>の呼びかけに応え、多額の支援金と寄せ書きのノートを、スローフード気仙沼に送ってくださいました……。

この日の東京は、朝からカンカン照り。スローフードベルリン・2日目の東京は、強い日差しのなかの山手散歩でした。
メンバーは、まず、子供連れで賑わう池袋の『サンシャイン水族館』で涼をとり、隣接する『池袋餃子ミュージアム』でお腹を満たしました。餃子ミュージアムは玩具・ゲームメーカーのバンダイが運営する食のテーマパークです。全国の餃子有名店が出店していますが、外国人観光客が訪れることはまずありません。キャラクター商品のショップがあり女子高生などで賑わう、1950~60年代の日本の横町を再現した館内をみて、メンバーの一人は「クレイジー!」と驚きました。でも、それも日本の文化のひとつです。一行はビールケースのテーブルを並べたフードコートでビールを傾けながら、日本のB級グルメを味わいました。
あまり知られていませんが、池袋の超高層ビル『サンシャインシティ』の近くには、都内に残った路面電車『都営荒川線』の停留所があります。その路面電車に短区間乗り、ベルリンのメンバーは地下鉄で明治神宮に向かいました。一行が驚いたのは、都心に残った自然林を思わす鬱蒼とした森が、約100年前に人の手で植林され、それ以来管理されていることでした。明治神宮の森には、日本が培った自然への知恵が反映されています。そして、外国人にとってはもうひとつの驚異、JR渋谷駅前のスクランブル交差点を渡って、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックの歓迎会が開かれる代官山のカフェレストラン『山羊に、聞く?』へ向かいました。

東京/神奈川ブロックによるスローフードベルリンの歓迎会は、日本のなかの異“食”文化・沖縄料理のメニューで開かれました。じつは、ドイツには山羊料理を食べる伝統があり、スローフードベルリンの活動はその農場にも及んでいます。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2010/10/1142/
沖縄にも、日本で唯一山羊料理の伝統があります。ベルリンのメンバーは、長期滞在で日本料理にも飽きてきた頃でしょうから、歓迎会でその沖縄料理を味わっていただきました。スローフード沖縄・奄美(田崎聡会長)が提供してくださったのは、山羊の生肉7㎏・泡盛の一升瓶6本のほか、新鮮な海ぶどう・シークワンサーなどです。スローフード沖縄・奄美の全面協力がなければ、この歓迎会は実現しませんでした。東京/神奈川ブロックは、つねにブロック外の支部(コンビビウム)と連携しています。
参加者が30人近くに及んだ歓迎会には、東京/神奈川ブロックを構成する8支部のうち、スローフード東京・すぎなみTOKYO・銀座・TokyoBay・よこはま・秦野の6つの支部のメンバーに加え、スローフード気仙沼の菅原昭彦理事長が地元で復興のシンボルとなった日本酒『蒼天伝』を持って駆けつけ、スローフード福島の遊佐勇人事務局長も参加してくださいました。
じつは、東日本大震災のとき東京/神奈川ブロックの呼びかけに応え、ベルリンでスローフード気仙沼を支援するためのチャリティー・ビュッフェを計画したのは、今回日本を訪れたUrlich Greiner(ウルリヒ・グライナー)さんと、Thomas Marek(トーマス・マレック)さんでした。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/
この日、ウルリヒさんとトーマスさんは気仙沼の菅原さんに会場で対面し、東京/神奈川ブロックが呼びかけた<顔の見える相手への直接支援>がひとつの実を結びました。<顔が見える相手への直接支援>とは、スローフードのメンバーがつながり、笑顔で語りあうための呼びかけだったのです。東日本大震災の被災地の支部を応援した海外のメンバーが、日本でその被災地のメンバーに会うのは初めてでした。それは、スローフードが生んだかけがいのない、そして言葉だけではない<きずな>です。
沖縄の三線(さんしん)奏者・東風平高根(こちひらたかね)さんが島唄を奏でると、そこはもう沖縄です。ウルリヒさんもトーマスさんも、ベルリンのメンバーはみんな入り乱れてカチャーシ(祝い舞い)の手をかざします。そして、アッという間に閉店の時間を迎えてしまいました。
スローフードジャパン東京/神奈川ブロックは、今後もスローフード気仙沼とスローフード福島を継続的に支援してゆく計画です。
東日本大震災に被災した人々は、歴史が昨日からつながる今日であるように、いまも東日本大震災を生きています。

スローフードでつながる④ 7月18日

投稿日 2012年07月27日

東京滞在の第一目。スローフードベルリンのメンバーは、希望が多かった築地市場と浅草寺を訪れました。いずれも外国人観光客の人気スポットですが、スローフードがアテンドすると一般の観光客には味わえない経験ができます。

 

魚河岸(うおがし)とも呼ばれる東京の築地市場には、近年、訪れる外国人観光客が増えて業務に支障をきたすようになったため、場内の入場に規制が設けられました。外国人観光客は、原則として午前9時以前には入場できず、ガードマンが巡回しています。しかし、ベルリンのメンバーが築地市場に到着したのは、午前7時半、しかも12人という多人数です。そこで、入場するために、彼らをアテンドする東京のメンバーと個人的なつながりがある場内のマグロの仲買人の方を、訪問するという形を取りました。
築地市場を見学する外国人観光客のほとんどが、場内に並ぶ魚を見てもそこで働く人たちを見ていません。そこで、東京/神奈川ブロックの Welcom委員会は、市場の東京魚市場青年団体連合会とスローフードベルリンのミーティングを設定しました。そのミーティングでは、場内の鮨屋で特別注文の本マグロ・ミナミマグロ・メバチマグロの3種類のマグロを(↑ 写真上段)味わったばかりのメンバーが、そのマグロを中心に日本の漁業に関ついて質問を連合会の出席者に投げかけました。実際に食べて、話し合う……。それが、東京/神奈川ブロックのWelcome委員会が考える<スローフード流>です。

浅草寺では、執事の大森和潮師がスローフードベルリンのメンバーを待っていました。浅草寺には、絵馬堂・伝法院など一般には非公開のエリアがあります。和潮師の案内で、東京の住人でもなかなか入る機会がないその非公開エリアに、ベルリンのメンバーは入りました。あるメンバーは、江戸時代から奉納されてきた数多くの巨大な絵馬や、境内の喧噪のなかにあるとは思えない美しい伝法院の庭園を、まるで別世界だ、と表現しました。これもまた、一般の観光とは異なるスローフード流の浅草の味付けです。大森和潮師もまた、東京のメンバーのひとりと個人的なつながりがあります。

知恵と人がそろえば、スローフードの国際交流はスローフードジャパンに頼らなくても充分に可能です。スローフードジャパンの国際本部担当者は、このスローフードベルリンの日本訪問にまったく関わっていません。今回のように国外の支部(コンビビウム)がグループで日本の支部を訪れるのは、もちろん初めてです。世界にもあまり例がない、と言います。しかし、国内の支部がこのように直接国外の支部とつながることこそ、スローフードジャパンの後藤毅会長が提唱する<スローフードジャパンのリーダーシップではなく、各コンビビウムのフラットな活動を!>という方針に沿った活動です。ベルリンの仲間たち12人の日本訪問が、スローフード運動を作り出すのは組織ではなく人である、と教えてくれます。

ベルリンのメンバーは、隅田川を下る水上バスで浅草をあとにしました。

 

スローフードでつながる③ 7月17日

投稿日 2012年07月26日

スローフードベルリンのメンバー12人が秦野に滞在中の7月17日、関東地方の梅雨が明けました。最高気温、33℃。北緯52度(サハリン中部に相当)のベルリンとは異なる日本の夏の訪れに、しかし、12人は精力的でした。

スローフードベルリンのメンバーが前夜泊まったのは、秦野の隣・七沢温泉の日本式温泉旅館『元湯・玉川館』です。長い日本滞在中、メンバーは初めて畳の上で眠りました。鬱蒼と茂る葉から木漏れ日が漏れる目覚めを、エルケ・マイヤーさんは「素晴らしかった !!」と、語ります。国を問わず自然を愛する心を持っているのが、スローフーダーの特徴かもしれません。

ベルリンでは味わうことがない<うだるような>暑さのなか、メンバーは東田原の『ふれあい農園』に立ち寄りました。『ふれあい農園』は地元の農家の組合が運営する約300区画の貸し農園で、主に秦野市街や湘南方面に住む人たちが家庭菜園を耕しています。メンバーの関心は、菜園に水をどうやって散布するのかなど、里山の豊かな自然にありました。

秦野の背後にそびえる信仰の山、大山。そのヤビツ峠への登り口にある宝蓮寺は、別名茶湯寺とも呼ばれる鎌倉時代に開かれた古寺です。秦野では座禅とお茶で知られているこの寺で、ベルリンのメンバーは座禅を組み、茶席に臨みました。立っているだけで汗が噴き出す酷暑のなか、欧米人には苦手なはずの正座や胡座(あぐら)を長時間続けるのは、拷問(?)に近かったかもしれません。しかし、メンバーから苦情やリタイアは出ませんでした。我慢強いその姿から、日本のスローフードを理解するために、日本の文化も吸収しようとする真摯な気持ちが伝わってきます。座禅や茶席に参加せずいち早く逃げ出したぼくに比べ、彼らは本当に真面目です……。

秦野でのお別れ会は、市内のイタリアンレストラン『クッチーナ・ジータ』で開かれました。スローフード秦野のメンバーでもあるシェフの藤田博さんは、東京の有名店で修行を積み、昨年9月秦野で開店して家族と一緒に店を切り盛りしているそうです。料理に使われる野菜は、すべて秦野産。地場産の食材にこだわる飲食店は、料理人がスローフードのメンバーであればすでに珍しくはありません。スローフード運動は、ここ秦野でも地域に確実に根付きつつあります。

ベルリンのメンバー、ヘンナー・ゼンフさんは、「スローフードの人間は、異なる食文化に心を開きます。来る前に想像したのとは違って、日本は非常に多彩な食文化を持つ国です。そして、どの食べ物についても、日本の人たちが親切にもてなしてくれるのがうれしいです。皆さんがベルリンに来たら、私たちも大歓迎します」 

 スローフードの<つながり>は、バーチャルな面識や組織から作られるのではなく、それぞれのメンバーのハートに触れて生まれます。
スローフード秦野のメンバーからは、ベルリンに行こう、という声が早くも上がりました。

東日本大震災 支援⑭
高円寺・被災地応援マルシェ vol.4

投稿日 2012年05月03日

あの日から、二度目の春が巡ってきました。私たちは東日本大震災の被災地を継続的に支援するため、毎年杉並区高円寺の10の商店街が連携して開く『高円寺びっくり大道芸』の会場を借り、今年も4月28日と29日にJR高円寺駅南口広場で応援マルシェ(市場)を開きました。

数年前に生まれたバイコット(BUYCOTT)という言葉は、ボイコット(BOYCOTT)とは正反対に消費者が商品を買ってその生産者を支える運動を意味します。生産は消費がなければ成り立ちません。大量生産・大量消費によって問われるのは、消費者の意識の在り方です。良い食材・食品を作る小生産者を守ろうとするスローフード運動は、その方針のなかにバイコットの考え方を強く持っています。私たちが行う被災地応援マルシェは、被災地の生産者の方々の商品の購入し、困難な状況で生産を続けようとする人たちの僅かながらも力になりたいと願う、バイコットのひとつです。

汗ばむほどの晴天に、出店してくださったのは岩手県大槌町のエルマーノ洋菓子店、味噌・醤油の醸造元・岩手県陸前高田町の八木澤商店、私たちが毎月勉強会を開く「六本木農園」関連の生産者、福島県いわき市出身の女将がいる中野区野方の居酒屋「もじよ」など。私たちはスローフード気仙沼の男山本店のお酒、スローフード福島の人気酒造のお酒、斉藤さんのキュウリ、丹野さんの味噌などを直接販売しました。そして、東京農大の学生たちが声をからして通行人に呼びかけてくれた結果、売れゆきは好調。ほぼ完売でした。                       東日本大震災から一年過ぎた春、互いに支え合うバイコットを通して新たな絆が生まれつつあります。

ドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』  東京で初上映 !!          

投稿日 2012年04月05日

スローフード山形のメンバーが中心になって製作した映画『よみがえりのレシピ』が、東京で初上映されます。
この作品は、4月2日、第36回香港国際映画祭でも上映されました。
日本のスローフード運動の考え方や在り方を知るために、ぜひご覧ください。

4月21日(土曜日)午後8時50分~午後10時20分
4月23日(月曜日)午前11時~午後0時30分
世田谷区 下高井戸シネマ(京王線下高井戸駅下車 TEL 03-3328-1008)
¥1,300円 (前売り¥1,000円)

http://shimotakaidocinema.com/schedule/tokusyu/dokyu2012.html
http://www.y-recipe.net/index.html
 (上映についてスローフードに関する問い合わせ battex02@zap.att.ne.jp)

下記は、フランス上映用に書かれたコメントです。

日本の地域文化と伝統野菜
掛川正幸(*脚本家/記者)

*映画「実録・連合赤軍」で、2008年ベルリン映画祭/最優秀アジア映画賞ほか受賞 

 さいきん、日本ではかつて地域で作られていた固有の野菜・伝統野菜の復活が広がっている。これは、消費者のニーズの多様化によって、野菜も種類を増やさなければならなくなった結果だ。だが、それらの野菜の栽培に使われる種子は、かつて各農家が伝統的に行っていた「自家採種」の種ではなく、多くは大手種子メーカーによって作られた交配種だ。そして、販路も都市部の消費者を対象としている。地域の伝統野菜の復活は、農業協同組合の新たな野菜ビジネスに直結しているケースが多い。

 ドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』のテーマは、それらの伝統野菜復活の動きとは異なり、「食」を通した日本の地域文化の保持と創造だ。登場する野菜の種子は、もちろん自家採種。取り上げられる農法のなかには、数百年の歴史を持つ「焼き畑」もある。そして、何よりもそこで語られるのは、種を守り続けてきた生産者、その種を発掘し価値を語る研究者、さらに栽培された野菜を使う料理人が織りなす、<食のトライアングル>だ。このトライアングルこそが、伝統野菜を保持するだけではなく、その野菜を使ったメニューによる新たな「食」の可能性を通して、伝統に根ざす地域文化を創造してゆくのである。この映画に登場する伝統野菜は、山形県鶴岡市のレストラン「アルケッチャーノ」の奥田政行シェフの手を通して、いまや多くの人が知る「山形イタリアン」へと変身する。映画では、地域に根ざす生産から消費にいたるプロセスが語られる。

 日本の野菜の多くは、原産地が日本ではない渡来種だ。その渡来種の自家採種を繰り返してそれぞれの土壌や天候に適合させた結果、地域の固有種・伝統野菜が生まれた。また、日本で人気が高いイタリア料理も、地域性が強いイタリアの料理が新たなレシピによって現在の味覚になった事は知られている。

 ある哲学者はこう語る。「伝統とは、成功した改革の結果である……」              『よみがえりのレシピ』は、伝統野菜だけではなく、その<改革>を描いている。

( ↓ 山形県鶴岡市の山林で行われている<焼畑>)

3月17日、高知市で
スローフードジャパン総会を開催

投稿日 2012年04月04日

3月17日、高知県・高知市でスローフードジャパン第11回全国大会が開かれました。この大会は、スローフードジャパンが2008年にNPO法人化してから第5回目の会員総会で、法的に定められた総会です。

大会前日(16日)に理事会が開かれ、後藤毅会長が提案した「会長抽選制」が協議されました。これは、NPO法人スローフードジャパンの会長を、<会員総会に参加する39歳以下の会員から2年に一度抽選で選ぶ>という案で、抽選に当たった会長は理事の罷免・会員の除名などの権限を持つという内容でした。しかし、理事会ではこの提案を総会で採決議案とすることが見送られました。(↑写真上 左・総会で講演するパオロ国際事務局長。右上・大会が開かれた高知会館。右下・前日の理事会)

大会は、17日午後1時30分から高知会館で開かれました。NPO法上の会員総会の前に、昨年12月に長崎県雲仙市で開かれた「テッラ・マードレ in 雲仙」と、地元高知の農業についてそれぞれ報告があり、スローフードインターナショナル事務局長パオロ・クローチェ氏と食育オフィス責任者ヴァレリー・コメッティさんの講演がありました。尾崎正直高知県知事が祝辞に駆けつけた総会では、全国9ブロックから18人の理事を選出する事、現会長・副会長・事務局長・監事の続投、2011年度決算、2012年度予算などが承認されました。

会員総会後の懇親会では、高知県の郷土料理が振る舞われ、タケノコやコンニャクの寿司(←写真左上から3番目)やクジラ料理(←写真左上から4番目)などが並びました。クジラ料理は、知る人ぞ知る高知の名物料理です。かつて、室戸岬では紀伊半島の太地から伝わったクジラ漁が行われていて、その伝統がクジラ料理としていまも高知には残っています。宴たけなわわのころ、高知市役所の「よさこい」チームが、鳴子を振りながら乱入。会場は「よさこい」の熱気に包まれました(↑最上段の写真。「よさこい」を踊るヴァレリーさん)。また、声楽を勉強する女子高生が昭和30年代のヒット曲『南国土佐をあとにして』『花はどこへ行った』などを朗々と歌い上げ、南国土佐ならではの、そしてスローフード高知の気持ちやモットーが伝わる大会でした。

高知県は、黒潮が想像させるイメージとは異なる山国です。四国を横断する山脈で瀬戸内海に面する3県と隔てられた高知は、山国ならではの独特の文化を育んできました。高知市の中心部では近郊の生産者が軒を並べ、数百年の伝統を持つ「日曜市」をいまも開いています(↓写真下上)。そして、現在、高知県は農薬に頼らず農作物を天敵や防虫ネットで防ぐ農業技術(IPM)の先進県です。地域と生産物とともに歩むスローフード高知が、今回の大会に掲げたテーマは<足るを知る>でした(↓写真最下段 大会前夜祭で乾杯の音頭をとるスローフード高知の上田孝道会長)。

東日本大震災 支援⑬
スローフード新宿応援団からのたより

投稿日 2012年03月15日

あの日から1年たった3月11日、
スローフード新宿応援団は岩手県岩泉町のハム工房「モーとんふぁみりー」http://www.protoscience.co.jp/iwashin/mooton/と一緒に、東日本大震災のメモリアル<イーティング>を新宿・四谷地域センターで行いました。

この日使われた食材は、スローフードの「ARK(味の箱船)」にリストアップされている岩泉町の日本短角牛。岩泉町では放牧されていた牛の一部から、福島原発災害により基準値以下ですが放射性物質セシウムが検出されました(60ベクレル/1㎏。政府の基準値は4月から100ベクレル/1㎏)。健康には影響ないとされるその肉の料理を食べながら、原発災害が酪農に与えた影響と、被災者の方の話を聞こうという<イーティング>でした。
(↑上左・コールドビーフ 上右・ココット 下左・ビーフシチュー 下右・ハンバーグ)

参加者は、大人31人子供6人。子供や授乳中の母親にはセシウムフリーの食材が用意されました。調理は、仙台のイタリアンレストラン「アルフィオーレ」のシェフ目黒浩敬さんhttp://www.jiyujin.co.jp/organic/page/?page_id=alfiore とモーとんふぁみりーの畠山幸誠さんが担当。目黒さんは自家菜園で店に出す野菜を作り、ハムやパンチェッタなども自分で作っています。「完璧に安全な食材を追求してゆくと、地元の農業や漁業を潰す事になりかねません。厳しい選択ですが、岩泉の短角牛を守るために、今日はこの肉を使います」と、目黒さん。

岩泉町の隣・宮古市の畠山さんは津波で家族と住んでいた自宅と働いていたレストランを失い、いまは仮設住宅に住みながらモーとんふぁみりーに通っています。ときおりメモに目を落としながら、被災したときの状況を語る畠山さん。そこには、テレビのインタビューとは異なり、直接話を聞かなければわからない言葉の重さがありました。その重さが、参加者一人一人の胸に迫ります。「高台への坂道を走って登ったとき、振り返るとそこは海でした」 畠山さんの話が終わったのは、偶然にもあの午後2時46分。
参加者全員で、犠牲者への黙祷を捧げました。

モーとんふぁみりーの<工場長>こと穴田光宏さんは、「普通は、牛肉からセシウムが検出されても、基準値以下であれば数値を記さずに販売されます。でも、ぼくは事実を知ってもらった上で、うちの商品を買って欲しいんです。それが、生産者の支援につながります」 モーとんふぁみりーが販売するビーフジャーキーには、検出された放射線量が記されています。

この<イーティング>に参加したコラムニストの松沢呉一さんは、こう語ります。「東京にも蛇がたくさんいて、この建物の裏にもいます。でも、気がつかないのです。人間には、嫌な物を見ないで済ませる能力があり、蛇を見たくない人は自分で見えないようにしているのです。放射能も同じで我々には見えませんが、それをいいことに、我々が放射能に汚染されている現実を見ないで済ませようとする人たちがいるのです」
スローフードは、原発災害に「観て見ぬ振り」はできません。
私たちは、お皿の外を見るのですから……。

(注:スローフード新宿応援団はスローフードのサポート組織で、スローフードジャパンに加盟する支部ではありません)

東日本大震災 支援⑫ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』 を東京で上映!!

投稿日 2012年02月23日

スローフードすぎなみTOKYOのメンバーが制作した東日本大震災と日本のスローフード各支部の対応を描く短編ドキュメンタリー映画が、3月10日(土曜日)に東京・信濃町で上映されます。(参照→Yidff2011

この映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』の英語版は、昨年6月11日にモロッコのラバトで開かれたスローフードインターナショナルの国際会議で上映されました。日本語版は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」で応募作品約1,800本のなかから選ばれた一本に入り、昨年10月7日山形市で上映されました。また、今年1月13、14日には、阪神・淡路大震災の被災地神戸でも上映されています。今回の東京での上映は、山形国際ドキュメンタリー映画祭の震災復興支援プロジェクトのひとつとして、東日本大震災をモチーフとした他の18作品とともに下記のように上映され、今後も国内各地で上映される計画です。ぜひご覧ください。

(*なお、この作品の映像使用料は原発災害に被災したスローフード福島に全額寄付されます)

日時:3月10日(土曜日)午後2時35分から
   (*『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』と併映)
料金:¥800円
会場:信濃町・「外苑キャンパス」(京都造形大学/東北芸術工科大学)

http://www.tuad.ac.jp/declaration/accessmap/tokyosatellite/
TEL:03-5412-6101
↓この映画に登場するスローフードのメンバー

 

東日本大震災 支援⑪
高円寺・被災地応援マルシェ(市場) vol.3

投稿日 2012年02月23日

2月18日、スローフードすぎなみTOKYOは高円寺で開かれた「第2回高円寺演芸まつり」で、東日本大震災に被災した宮城県気仙沼市「男山本店」と福島県二本松市「人気酒造」の酒を売りました。

「男山本店」は津波で港に面した事務所が全壊し(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)、「人気酒造」は地震による地割れのため蔵の場所を移転せざるをえませんでした。この日用意した酒は焼酎・リキュールなどを含め全部で60本。北風が冷たく東京ではとくに寒さを感じる日でしたが、その60本全部を完売しました。御協力、ありがとうございました。

東日本大震災 支援⑩
スローフード と 震災 と 「絆」

投稿日 2012年02月08日

日本を文字通り震撼させたあの日から、もうすぐ一年がたとうとしています。          この一年間、私たちスローフードすぎなみTOKYOそして私たちと交流のあるスローフードの支部(コンビビウム)は、 東日本大震災と原発災害にどのように向き合ったのかを、まとめました。                               私たちは何をして、何をしなかったのか……。                       スローフードの「絆」はあったのか……。                          被災しなかった私たちの次の一歩は、その問いを心に刻んで始まります。

緊急アッピール!! 東日本大震災  がんばれ!! スローフード気仙沼         http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/

東日本大震災 支援① スローフード秦野からのたより               避難所で、蕎麦打ち                                                                           http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1471/

東日本大震災 支援② チャリティー in 「座の市」                  風評被害を受けた 福島県産キュウリの販売        http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1659/

東日本大震災 支援③ スローフードベルリンからのたより            日本食のチャリティービュッフェ                  http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/

東日本大震災 支援④ スローフード沖縄・奄美からのたより           福島原発の被災者など、15家族受け入れ                                        http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1744/

東日本大震災 支援⑤ 高円寺・被災地応援マルシェ(市場)           完売 続出!                           http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/05/1844/

東日本大震災 支援⑥ スローフード気仙沼への支援金              合計940,997円を、手渡す                                                             http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/05/1921/

補足説明:東北被災地取材DVDの上映              http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/07/2032/

スローフード福島からのたより 『福島の現状を語る会』開催http://www.slowfood-suginami.com/news/2011/08/2094/

東日本大震災 支援⑦ 2011年大晦日 私たちは、忘れません!!        歴史に刻まれた年から、新たな歩みへ                                                        http://www.slowfood-suginami.com/news/2011/12/2138/

東日本大震災 支援⑧ 宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ          仙台の雑煮に欠かせない 伝統食材が危機に                                   http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2012/01/2236/

東日本大震災 支援⑨ 気仙沼・冬                           スローフード気仙沼のみなさん、元気をありがとう……                          http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2012/01/2309/

スローフード秦野からのたより

投稿日 2012年02月02日

私たちが活動する神奈川県秦野市周辺は、明治時代に日本で初めて落花生が栽培された地域です。いまでは落花生の主な生産地は千葉県に移りましたが、かつて秦野では落花生を大豆の代わりに使った味噌が造られていました。私たちはその落花生味噌を復活させる活動を行っています。
1月29日、メンバーなど20人近くが集まり、昨年2月に仕込んだ落花生味噌の完成・試食会を開きました。一年間寝かせて熟成させた落花生味噌は、昔風なので少し塩辛いものの大豆の味噌にはない濃厚な味がします。この落花生味噌を使いディップやドレッシングなどのほか、市内菩提の「ラーメン福福」さんに味噌ラーメンを作っていただきました。
その食卓を囲んで、秦野の特産物や今年の味噌造りなどの話をするうちに、この落花生味噌で何か東日本大震災の被災地へのお手伝いができなか、という提案が出ました。そこで、私たちスローフード秦野は「ラーメン福福」さんとのコラボレーションでその落花生味噌ラーメンを販売していただき、売り上げの一部を被災地のコンビビウムの支援に使わせていただく事になりました。落花生味噌ラーメンは2月中旬から、「ラーメン福福」さんhttp://rp.gnavi.co.jp/5914554/で味わえます。(¥600円・落花生味噌がなくなったら終了します)

秦野の特産物・落花生をこれからもよろしくお願いします。

<落花生味噌のディップ>

○材料
落花生味噌、マヨネーズ、ピーナツバター(甘くない物)
○作り方
上記3つの食材を合わせ、泡立て器でかき混ぜながら酒(或いはブランデー)を少量加え、味を調える(砕いた落花生を加えても良い)

 

東日本大震災 支援⑨  気仙沼・冬

投稿日 2012年01月27日

<あの日>から10ヶ月経た気仙沼を、再び訪れました。そこで見たのは、5月に訪れたときと同じく、私たちの想像を超えた自然の力の凄ましさです。瓦礫の撤去が進む被災地域は広大な荒野となり、たとえそこに再び街が出現しても、以前の営みが刻まれるのは記憶のなかだけかもしれません。しかし、その荒野には自分たちの暮らしを取り戻すだけではなく、新たに作り出そうとする方たちの熱き想いがありました。

東日本大震災の津波が気仙沼市にもたらした瓦礫は、約137万トン(新幹線「のぞみ」約19,000本[編成]に相当)。その約32パーセントが、撤去されました(気仙沼市1月14日発表)。瓦礫に埋もれていた場所の多くは、いま更地に近い状態になっています(→写真右)。しかし、市内には仮設のプレハブ家屋以外新築建築は見当たらず、再建は進んでいません。被災した土地の乱開発を防ぐために実施された建築制限が解除された地域でも、都市計画が決定していないので新たな建物を建築しづらいのです。気仙沼湾に面する市街地の一部は、70センチ以上の地盤沈下で海水が引きません。湾のいちばん奥・鹿折地区では、津波で海から約800メートルも打ち上げられた『第18共感丸』(330t)が、市の計画で震災の記録モニュメントにするため解体されず残されています(↓写真下大)。

スローフード気仙沼のメンバー小野寺靖忠さんは、津波で自宅と市内で経営するコーヒーショップを2軒を失いました(←写真左)。カフェラテが美味しいと評判だった小野寺さんの『アンカーコーヒー』は、コーヒー豆にこだわり自家焙煎をしていました。仕事でアメリカ西海岸を訪れる機会が多かった小野寺さんは、「豊かさには、選択肢の多さも重要です。生まれ育った気仙沼に新たなライフスタイルを提案したかった」と、2005年シアトルスタイルのコーヒーショップを開店しました。そして、昨年の3月11日、店舗が増え5軒になった頃、漁港近くの本店と少し離れた支店を津波に飲み込まれました。しかし、小野寺さんは2ヶ月後店を立て直すファンドを立ち上げます。そして、昨年暮れの12月23日、市内・田中前4丁目の仮設店舗で店を再開したのです(↓写真下)。                  再開した『アンカーコーヒー』には、                                             <この地より再び船出する、乗組員と共に、気仙沼と共に、海と共に>                                    と記すポスターが張り出されていました。

スローフード気仙沼の理事長・菅原さん。「私たちは東日本大震災で被害を受けたから、気仙沼の復興を語っているのではありません。私たちはこの地域の復興を、スローフードジャパンが発足する前から掲げていました。スローフードの支部を作ったのは、その考え方にたまたまスローフードの理念が合っていたからです。だから、漁業と関わりの深い気仙沼を活性化させるために、2004年にイタリアで開かれた<スローフィッシュ>にも参加しました。震災後のいま訴えることも、いちばん重要なのはスローフードが理念とする『人間の復興』です。いま、何か新しいことを訴えているのではないのです。私たちが望むことに意味付けし、広めるのがスローフードの役割だと思います」(→写真右上は、菅原さんの事務所。1,2階が津波に流され、3階部分だけそのまま落ちた)

スローフード気仙沼はスローフードすぎなみTOKYOとは異なり、飲食業に携わる事業者の方たちが多い支部(コンビビウム)です。スローフードの<おいしい、きれい、ただしい>というスローガンは、生産者や消費者だけに向けられているのではありません。飲食業に関わるすべての人たちに、「食」の在り方を問いかけています。漁業と海産物加工の町気仙沼では、復興の入り口と出口にスローフードがある、と菅原さんは言います。

2012年1月のある夜、仮設店舗の居酒屋で、スローフード気仙沼のメンバーと酒を飲み交わしました。皆さんは気仙沼の現実と復興を明るく、たくましく、熱く語ります。そして、その熱き想いが、私たちが被災地に持つ思い込みや誤解、独善を吹き飛ばすのです。私たちは気仙沼のメンバーに、元気をたくさんいただきました。
 

昨年の3月14日、大震災の発生にともない、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックはスローフード気仙沼を支援する緊急アッピールを発表しました。                       → http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/                            そのアッピールに応えてくださった全国のコンビビウムやこのページの閲覧者の方々、とくに、チャリティイベントを開き支援金を送ってくださったスローフードベルリンの仲間に伝えます…。→ http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/

              スローフード気仙沼は、元気です!!

 

東日本大震災 支援⑧
宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ

投稿日 2012年01月20日

東日本大震災は、私たちの味覚にも痕跡を残します。
仙台の雑煮に欠かせない焼きハゼで、もっとも伝統的な長面(ながつら)浦の焼きハゼが消えてしまうかもしれません。
それぞれの地域で、数少ない生産者によって受け継がれてきた食材・食品を残す活動は、スローフードが提唱する重要なテーマのひとつです。

<長面浦の焼きハゼ>は、2005年ほかの8品目とともに日本で初めてスローフードの「味の箱船(ARK)」に選ばれました。「味の箱船」とは、このままでは消えてしまう伝統的な食品・食材を、世界的なガイドラインに沿ってリストアップするスローフードの国際的なプロジェクトです。焼きハゼは松島湾などでも作られていますが、<長面浦の焼きハゼ>には焼いた後に煙で燻す古い製法が残されていました。また、その製法を代々受け継いできた事が評価され、「味の箱船」にリストアップされたのです。

(←長面地区の子供たちが通った大川小学校で。ここで、74人の児童が犠牲になった)

 

長面浦は北上川の河口に接する海水が出入りする湖で、周囲8キロほど。牡蠣の養殖やハゼ漁が行われていました。その湖に面した長面地区は津波のために漁港も含めたすべてが失われ、満潮のときは地震による地盤沈下で、住宅地のほとんどが海水に浸されます。震災前、約500人が住んでいた長面では、69人が亡くなり25人がいまも行方不明です。焼きハゼを作っていた榊照子さん(68)のお父さんの遺体が見つかったのは、9月17日でした。

追波(おっぱ)川河川運動公園の仮設住宅で、照子さんは語ります。「被災後は、長面浦には行きたくありませんでした。でも、6月に避難所からここへ移り、7月に船が瓦礫の中から見つかったので、せめて漁網だけでも注文しようと思いました。父の遺体が見つかったのは、9月です。スローフード宮城の方は、震災直後から何回も訪ねてきて、焼きハゼ作りの再開に協力を申し出てくださいました。長面浦では、ほかの魚はほとんど獲れなくなったのに、ハゼだけは獲れるんです。それで、もういちど作ってみようと決めたのは11月頃です」 照子さんは、12月に50連約600匹の焼きハゼを作りました。              (↑写真上 左・榊照子さんの家があった周辺。 写真上 右・潮が満ちてくると海面になる、と言う。→写真右 上・運動公園の仮設住宅。写真右 下・左側が照子さん。右側はお母さん)

しかし、スローフード宮城とスローフード仙台のメンバーが壊れた車庫を利用して作った、ハゼを焼くための仮作業場はもうすぐ取り壊されます(↓写真下)。次の作業場は、場所さえまだ決まっていません。また、岸壁も全壊したため、ハゼ漁に使う船はかろうじて残った堤防の片隅に係留されています(←写真左)。<長面浦の焼きハゼ>作りは、この冬なんとか再開できたものの、来シーズンの見通しは立っていないのが実情です。スローフード宮城とスローフード仙台では、<長面浦の焼きハゼ>復活募金を、下記のように行っています。

①募金額 / 一口¥3,000円(少額でも、何口でも結構です)
②振込先 / 杜の都信用金庫 本店営業部
口座名義: スローフード宮城
口座番号: 普通預金 1581336

 

<長面浦の焼きハゼ>がリストアップされている「味の箱船」は、スローフードが考える生物多様性につながっています。スローフードが考える生物多様性は、科学的な意味での多様性だけではなく文化としての多様性です。そして、味覚は文化の多様性を語る要素のひとつです。       <おいしい・きれい・ただしい>を掲げるスローフードの原点は、そこにあります。                <長面浦の焼きハゼ>が姿を消すとき、それは何を意味するのでしょうか……。 

 (↓かつての長面地区)

 

東日本大震災 支援⑦ 2011年大晦日
私たちは、忘れません!!

投稿日 2011年12月31日

(ページの更新が、本年8月以降止まっていたことをお詫びします)

今年、2011年は日本の歴史に深く刻まれた年でした。
歴史だけではなく、東日本大震災の被災者の方々をはじめ、多くの人々の心に深く刻まれた年でした。
私たちはそのなかから歩み始めます。

東日本大震災は、三つの顔を持っていました。ひとつは、巨大な地震・津波が生んだ自然災害の顔。二つめは、原子力発電所を設置した国の政策が生んだ人為的災害の顔。そして、三つめはそれらの災害により、私たちの生き方を問う顔です。二つの災害が私たちに教えたさまざまなことは、これからの日本の在り方を考えさせます。新たな社会を考えるうえで、スローフードが掲げる「食」の“おいしい・きれい・ただしい”という理念は欠かせません。そこには、生きる楽しさ、喜び、確かさが語られているからです。

スローフードの国内組織・スローフードジャパンには、日本内外から約127万円の支援金が寄せられました。これに国際本部からの負担金の免除(約165万円)を加えた300万円あまりの使い方が正式に決められたのは、震災から9ヶ月以上たった今月(12月)でした。支援金は、被災地のコンビビウム(支部)に分配され、また被災会員の会費免除に使われます。しかし、スローフードジャパン独自の被災支援プロジェクトや復興プランは、現在まで打ち出されていません。スローフードの活動は各コンビビウムによって支えられていますが、いまこそ国内組織としての、そして私たちの会費の約半額が納入されるスローフードジャパンが、リーダーシップを発揮するときです。被災地日本のスローフードが、世界のメンバーに向けて震災からの復興を宣言する日は来るのでしょうか?

私たちスローフードすぎなみTOKYOを含むスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、東日本大大震災に際し「顔が見える相手を直接支援」するために、いち早くスローフード気仙沼の支援を決めました。そして、5月3日、全国各地のコンビビウム、スローフードベルリンなどから寄せられた約94万円の支援金を現地気仙沼で手渡しました。さらに、スローフードすぎなみTOKYOはおもに原発災害の影響を受ける生産者を支援するために、高円寺あずま通り商店街の協力により「被災地復興マルシェ」を4月と11月に開催し、それらの活動を記録した短編ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』を製作しました。この作品は、6月にモロッコで開催されたスローフードインターナショナル国際理事会で、10月には山形国際ドキュメンタリー映画祭2011(写真左下)でそれぞれ上映され、来年(2012年)は映画を自主上映をする市民団体の被災支援プロジェクトとして全国各地で上映される予定です。

私たちは、被災地の支援とともに、これまでの活動も続けています。4・5・6・10・11・12月の第3土曜日には、高円寺の劇場「座・高円寺」のエントランス広場で「座の市」を開催しました。また、6月11日に行われた「親子で知ろう! ほんとうの味」はパエリアを取り上げ、13回目を迎えました。これは、毎年杉並区立第4小学校で行われている味覚教育で、スローフードすぎなみTOKYOの活動の中心のひとつです。さらに、この味覚教育の拡大版として6月25日、住民の過半数を外国人が占める新宿区大久保で、そこに住む外国人親子に日本語を教えるボランティアの方々と一緒に、日本の「食」を伝えるために<「課外授業・おにぎり弁当作り」>を行いました。私たちのメンバーに生産者の方は一人しかいません。しかし、私たちはともすればスローフードの理念とは正反対の場所だと考えられがちな都会の片隅で、地域に密着したスローフードの運動をしています。これらの活動は、来年も継続して行う予定です。(写真右上:「座の市」 写真右中:杉並第4小学校の「親子で見つけよう! ほんとうの味」 写真右下:「親子日本語教室・課外授業」おにぎり弁当作り)  

12月3日、スローフード長崎は「テッラ・マードレ in 雲仙」を長崎県雲仙市で開きました。来場者は、約1,000人。会場にスローフードが全国からリストアップした「味の箱船」(少生産者による伝統的な産物)の食材・食品が展示され、生産者や産地の小学生たちの発表・討論などが行われたました。テッラ・マードレとは、直訳すると「母なる大地」を意味する生産者の会議で、これからのスローフード運動の中心となる催しです。スローフードはいま、農業と真摯に向き合うすべての生産者に寄り添おうとしています。テッラ・マードレ in 雲仙では、日本のスローフード運動の再生へ向けて、生物多様性を踏まえで生産システムの転換を訴えるメッセージが、参加者によって宣言されました。→「にぎわいのある社会の実現を目指して」

来年(2012年)、スローフードは大きな転換期を迎えます。スローフード運動の創始者で、25年にわたって活動を牽引してきたカルロ・ペトリーニ会長が引退するのです。25年前、イタリアの小さな村ブラから始まったスローフード運動は、その創始者の引退によりこれまで築かれてきた人的パイプが変わり、各国の国内組織は今後独自の運動の展開を求められるでしょう。そのとき、私たちは日本のスローフード運動の目標として具体的に何を語れるのか・・・、日本のスローフードはその真価が問われます。

スローフードは、私たちの言葉です。 

12月18日、原発災害の被災地福島を訪れると、スローフード福島のメンバーが農地の放射能除染を試みるため、ときおり小雪が舞うなかで、孟宗竹を砕き「竹粉」を作っていました。

私たちは、被災地のコンビビウムの方々と共に歩みます。

 

スローフード福島からのたより

投稿日 2011年08月05日

 

スローフード福島は、8月27日(土曜日)、二本松市近郊で、下記のように<福島の現状を語る会>を開きます。
皆さんお誘い合わせのうえ、ご参加ください。

 
ご承知の通り、現在、福島の農業・経済は、原発被災により重大な被害を被っています。
この会は、スローフード福島のメンバーが集まり、<愛しいふるさと「福島」>を守る活動を考えよう、というものです。
そして、福島だけではなく他のコンビビウムのスローフードメンバーにも、自由に参加していただきたい、と思います。
スローフード福島のメンバーは、とにかく福島を訪れてほしい、原発被災に喘ぐ自分たちの声を聞いてほしい、と切に望んでいます。
皆さん、お誘い合わせのうえ、是非ご参加ください。
 

 日時:2011年8月27日(土曜日)

 会場:フォレストパークあだたらhttp://fpadatara.com/

*車以外の方は、12時10分、JR東北本線(在来線)本宮駅集合。

    本宮駅へは、東京駅10時08分発
                  ↓東北新幹線 つばさ243号
               郡山駅着11時30分
                                 郡山駅発11時56分
                                                     ↓東北本線 
                                      本宮駅着12時09分
                                      (本宮駅着12時55分にも対応)
 

 内容
14時 講演会
生産者によるパネルディスカッション
意見交換会
18時 懇親会

懇親会:会員4000円(一般4500円)(宿泊される方は+5000円)

 申込先:スローフード福島事務局
slowfood@ninki.co.jp
TEL:0243-23-2091
FAX:0243-23-2098 

締め切り:8月15日 

追記:

『福島の現状を語る会』には、スローフードすぎなみTOKYOから5名参加し、スローフード福島の生産者の方から話を聞きました。無農薬・有機で野菜を栽培していた会長の須藤陽子さんは、食の安全性にこだわるからこそ放射能汚染の恐れがある野菜は作れない、と言います。事務局長・「人気一酒造」の遊佐勇人さんは、地震の影響で酒蔵を移転せざるをえませんでした。メンバーの大半を福島県内陸部、通称「中通り」の方たちが占めるスローフード福島では原発から避難しなければならなかった人はいませんが、放射線の線量計を常に携帯している人もいます。滞留する放射能・生産の中止・価格の下落など、福島県の原発災害は甚大です。私たちはスローフードとして何ができるのか、大きな課題を突きつけられました。

東日本大震災 支援⑥
スローフード気仙沼への支援金

投稿日 2011年05月05日

5月3日、スローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さん(スローフードすぎなみTOKYO代表)は、宮城県気仙沼市を訪れ、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが募ったスローフード気仙沼への支援金を、理事長の菅原昭彦さんに直接手渡しました。

この支援金は<顔が見える相手に、直接支援>を訴え、震災直後の3月14日にスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが呼びかけたものです。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/

その結果、5月2日までに、全国各地のスローフードメンバーやその知り合い、このwebサイトの閲覧者、スローフードすぎなみTOKYOと交流があるスローフードベルリン、東京・新宿の居酒屋「あいうえお」などから合計940,997円が寄せられました。また、4月13日に日本料理のチャリティー・ビュッフェを開いたスローフードベルリンからは、参加者がスローフード気仙沼のメンバーにメーセージを書き込んだノートも届きました。左の写真は、そのノートに見入る菅原さんです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/
菅原さんのご家族は全員無事でしたが、スローフード気仙沼のメンバーの方が1人亡くなりました。また、菅原さんが営む男山本店という日本酒の酒蔵では、数人の方が亡くなり、家を失った社員も何人かいます。「ここ気仙沼では、生きている人が100人いると、300のドラマがあるんです」と、菅原さん。

菅原さんはこう語ります。「漁業の町・気仙沼では、漁業生産者への直接的な支援は難しいでしょう。今後求められるのは、つながりを絶やさない継続的な支援です。今回の震災は、地域社会を大きく変えます。スローフードにできることは、その変化のなかで、この土地で培われたきた伝統や漁村文化を継承してゆくことです。私の友人は、『いままで、おれたちは海から色々な恵みを受けてきた。今回の津波で、おれたちはそれをいったん海に返したんだ』と、言っています」
5月4日午後4時現在、気仙沼市で死亡が確認された人は913人。行方不明者663人。全壊した家8,383戸。半壊した家1,861戸。人口約73,000人のうち4,930人が、市内51の施設で避難生活を送っています(宮城県調べ)。

市内中心部の、巨大な力で引き裂かれた人間の暮らしを見て、佐々木さんに同行したスローフードすぎなみTOKYOのメンバーは、ただ立ち尽くすだけでした。

しかし、復興の歩みはすでに始まり、菅原さんはその一端を担っています。港に面していた男山本店の事務所は昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていました。事務所は、1・2階部分が消滅。3階がそのまま地上に落ちてしまいました(写真下)。地盤沈下のため、満潮時には前の道路が冠水します。酒蔵にも、門の数メートル手前まで海水が押し寄せましたが、幸いにも津波の被害は免れました。そして、昨年11月に仕込んだタンク2本が無傷で、なかから「もろみ」が呼吸する音が聞こえたそうです。復興を望む被災者の声に押された菅原さんは、その「もろみ」で新酒造りを決意し、3月28日に銘酒「蒼天伝(そうてんでん)」を絞り終えました。菅原さんの新酒造りはテレビで伝えられ、報道された新聞や雑誌の記事や、励ましのメールが新たな事務所に貼られています。

           ↑ 震災を乗り超えて生まれた、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」

東日本大震災 支援⑤
高円寺・被災地応援マルシェ(市場)

投稿日 2011年05月04日

スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日/5月1日の二日間、
福島原発災害の風評被害に遭っている生産者の方たちを支援するため、
<被災地応援マルシェ(市場)>を、JR高円寺駅南口広場で開きました。

このイベントのきっかけとなったのは、昨年、宮崎県で広がった口蹄疫への支援イベントを、スローフードすぎなみTOKYOと一緒に行った大学生グループの一人、神野政史(東京農大3年)さんの想いです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/

 

実家が、福島第一原発から避難を強いられる計画的避難地域・川俣町の一部にある神野さんは、放射能汚染の風評被害を受けている多くの地域の生産者に、何かアクションを起こせないか、と思いました。その想いに応え、スローフードすぎなみは4月30日/5月1日に開かれる<第3回高円寺びっくり大道芸2011>で、風評被害を受けている地域の方たちに、生産物を販売する場を、自分たちの力でささやかながら作ろう、と考えたのです。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応えてくださったのは、スローフード福島、スローフード茨城(写真右上・サブリーダーの中川純一さん)、農家の若い世代の就農を目指すレストラン・東京/六本木の「六本木農園」(写真右下・弥生一葉さん)、福島県の「JAしらかわ」など。

スローフードすぎなみは、前回の「座の市」に引き続き、スローフード福島メンバーである斉藤保行さんのキュウリ、同じく福島のメンバーである人気酒造の日本酒・リキュール・「食べる酒粕」などを販売し、スローフード茨城は、レタスなどの生鮮野菜のほかに、小鯛やカレイなどの魚介類も持ち込みました。また、六本木農園の生産者グループは、鈴木農園の「ジャンボなめこ」、内山さんのサツマイモ、堀米農園のウド、田中さんのnippa米、若手生産者グループ「農援隊」のコメ・アスパラなどを網羅。JAしらかわは、コメ・餅・イチゴ・野菜などを売りました。

今回、販売の中心になったのは、スローフードすぎなみのメンバーや、その知人・友人の女性たちです。彼女たちが担当する斉藤さんのキュウリ、人気酒造の日本酒などは次々に完売し、日本酒は追加注文を出しました。手伝ってくださった女性のなかに、実家と田が津波で被災し、さらに福島第一原発の警戒区域に指定され、故郷に立ち入ることができない浪江町の方もいらっしゃいました。                                          「風評」は姿や顔・形が見えない場所から、想像力で生まれます。2日間、呼びかけ、売り続けた女性たちのエネルギーは、その被害を風のように吹き飛ばしたのかもしれません。         そして、浪江町の方にいただいた、津波に侵される前に穫れた「最後の玄米」の味わいに、言葉を失ってしまいました・・・・・・。

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援④
スローフード沖縄・奄美からのたより

投稿日 2011年04月22日

 

4月20日、スローフード沖縄・奄美が主宰するNPO法人「食の風」は、             震災被災者を支援する『沖縄でニッポンを復興させる会』を設立し、       沖縄本島・中部の宜野座村(ぎのざそん)に、                           福島第一原発事故の被害者など15家族受け入ることを発表しました。

この日、スローフード沖縄・奄美会長の田崎聡さんは、設立5団体の代表者とともに、沖縄県庁で記者会見を開催。会の設立と、宜野座村(ぎのざそん)による15家族受け入れが、新聞各社・テレビ各局で報道されました。→  Okinawa Zinoza 01 4月9日正午現在、沖縄在住の震災避難者は887人(朝日新聞調べ)。しかし、その多くは沖縄出身者や個人的な関係による避難で、自治体と民間団体が行う組織的な受け入れは、沖縄県では初めてです。避難者の住居費は、1年間無料(光熱費別)、那覇への航空運賃も無料(暫定5月末まで)。受け入れ農家での農作業のほか、休耕農地での耕作が可能です。

受け入れ先となる宜野座村は、那覇空港から沖縄自動車道経由で約1時間半。人口約5,500人の沖縄本島中部に位置する村です。阪神タイガーズのキャンプ地として知られ、また、漢那ダムをはじめ5つのダムがある沖縄の水瓶です。昨年3月、「有機の里」宣言をした宜野座村は、環境保全型農業を地域ぐるみで目指しています。したがって、環境保全型農業を目指す方たちにとって、うれしい場所です。

宜野座村エコ野菜研究会の志良堂貢さん(写真下・左)は、10年前から化学肥料を一切使わず独自の肥料を開発し、無農薬で野菜を栽培するために、在来種のクモやカエルを使って害虫の駆除をしています。「宜野座で、マッチョンドー(宜野座で、待ってるよ)」と、志良堂さん。また、3年前に農業研修で宜野座村に来た菅野里志さん(写真下・右)は、福島県出身。研修終了後、宜野座村に移住してイチゴなどを栽培しています。菅野さんは、JAの支援体制や行政のバックアップがしっかりしていて、移住を決意したそうです。スローフード沖縄・奄美の田崎さんは、「被災地と沖縄との交流を通して、第一次産業から復興につなげてゆきたい」と、語ります。

 

 

                       (↑ 宜野座村を描いた絵)

↓ 『沖縄でニッポンを復興させる会』(設立趣意書)                              Okinawa Ginoza 03 

               

また、4月17日、那覇市久茂地のフレンチ・レストラン「メゾン・ド・フジイ」は、震災復興へ向けたチャリティー・ディナーを開き、売り上げを、スローフード沖縄・奄美を通してスローフード気仙沼の支援に寄付してくださいました。

 

追記:

この発表のあと、5月6日から10日まで、スローフード沖縄/奄美の田崎会長は原発からの避難所を訪れました。福島県双葉町の方たちが避難していた埼玉県加須市、おもに大熊町の方たちが避難していた福島県会津若松市、おもに富岡町と川内村の方たちが避難していた郡山市で、田崎会長はそれぞれの行政担当者へ被災家族の受け入れを説明しました。また、地元テレビ局や新聞などの取材も受け、原発災害に対するスローフードの対応のひとつを地域のメディアに示したのです。申込期限の5月末までに正式に移住を決めた家族はありませんでしたが、この受け入れ計画はいま「宜野座エコビレッジ構想」として発展し、継承されています。(→ginoza_120111

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援②
チャリティー in 「座の市」

投稿日 2011年04月17日

4月16日、放射能汚染の風評被害を受ける福島県産のキュウリを、        スローフードすぎなみTOKYOは、劇場「座・高円寺」と共催して開く「座の市」で、販売しました。

販売したのは、スローフード福島のメンバー・斉藤保行さんがハウス栽培したキュウリです。斉藤さんのキュウリは、蕎麦カスなどを中心とした肥料や、昆布粉・トウモロコシの油カスなどを使った高級品。おもに、東京の有名デパートなどで売られていました。ところが、福島第一原発の事故により、福島県の農産物に放射能汚染の風評が広まりました。斉藤さんのキュウリは、「無添加食品販売協同組合安全センター」の調査で、安全面で問題がない、との結果が出ているにもかかわらず、販路を失いました。そこで、スローフード福島が支援を呼びかけたのです。

特定の商品などを買わず、社会的な抗議や主張を表す不買運動(ボイコット)は古くから知られています。しかし、最近、それとは発想を逆にした、フェアトレードなど、特定の商品を買って生産者やコミュニティーを支えるバイコット(BUYCOTT)の運動が盛んになっています。「味の箱舟」「プレシディオ」にみられるように、このバイコットは、スローフード運動を支える考え方のひとつです。二箱送られてきた斉藤さんのキュウリは、すぐに売り切れてしまいました。

「座の市」は、スローフードすぎなみTOKYOが、杉並区立の劇場「座・高円寺」や地元の商店街などと、昨年9月から始めた定期市場です。毎月一回、第3土曜日に「座・高円寺」のエントランス広場で開かれます。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応じ、スローフード福島・スローフード長崎・スローフード秦野が、出品しています。スローフード秦野からは、毎回、パン工房「レ・ルルド」の神保さんが来てくださり、早くも「座の市」の名物になりつつあります。また、スローフード長崎がいつも出品する「エタリの塩辛」(写真上・右)は、日本で初めて「味の箱舟」(アルカ)に登録された食品のひとつ。その「味の箱舟」を東京で買える場所が、この「座の市」です。また、今回スローフード福島は、斉藤さんのキュウリのほかに、「人気酒造」の<食べる酒粕><手造り味噌>(写真上・左)などを出品しました。遠方のコンビビウムからの出品は、スローフードすぎなみTOKYOが、委託販売をしています。

高円寺「座の市」は、杉並第4小学校の「味覚教育」とともに、スローフードすぎなみTOKYOの活動を支えるプロジェクトのひとつです。

なお、スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日~5月1日に開かれる「高円寺びっくり大道芸2011」の復興支援チャリティーマーケットで、スローフード福島・スローフード茨城の協力を得て、風評被害に遭っている農産物を販売する予定です。

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援①
スローフード秦野からのたより

投稿日 2011年04月17日

スローフード秦野のメンバー「石(いし)庄庵」の主人・石井貞男さんは、         4月6日、福島市内の避難所・福島商業高校で蕎麦を打ち、              被災者や支援者の方たちに提供しました。

石井さんと<石庄そばの会>の人たち12人が秦野を出発したのは、前日の午後9時。6日の午前3時半頃、東北自動車道最寄りのインターで仮眠し、午前8時頃、福島原発半径20キロメートルの住民約120名が避難していた福島商業高校の体育館に着きました。福島商業高校の避難所を選んだのは、「石庄庵」のお客さんに、福島商業OB会の方がいらっしゃって、学校と連絡を取ってくださったからだそうです。蕎麦粉25kg、70リットルの寸胴鍋数個、水、プロパンガスなど、蕎麦を作るために必要な材料・機材・調理器具は、すべて秦野から運びました。

石井さんは、昼食に合わせて200食の蕎麦を打ち、被災者の方たちだけではなく、警察・ボランティア・学校の教職員など、支援に当たっている方たち全員に、蕎麦を食べていただきました。また、同行した会員に整体師の方がいて、被災者の方たちの身体をほぐしたそうです。

「最初は遠巻きにしていた子供たちが、途中から体に触ってくるようになりました。大人たちは次の避難場所を選ぶのに忙しく(福島商業の避難所は、学校の授業が始まるために8日に閉鎖されました)、子供たちに相当ストレスがたまっているようでした」と、石井さん。石井さんは、避難所の人たちが、カップラーメンを食べているテレビの映像を見て、<自分にできること>を考えました。「それは、これからも自分が蕎麦屋をやってゆくために、必要なことでもあったのです」

美味しい料理は、食べる人に元気と希望を与えます。                           それは、スローフードの理念のひとつです。

東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震)                                         スローフードジャパン・東京宣言

投稿日 2011年04月10日

スローフードジャパンは昨日(4月9日)理事会を、東京・代官山の「イータリー」で開き、佐々木副会長(スローフードすぎなみTOKYO・代表)が、今回の大震災に関するメッセージを発表しました。

スローフードジャパン 東京宣言

人類の歴史は自然の脅威を克服する過程でもある。
日本人は森林と温暖湿潤な気候に恵まれ、水を活かし水に活かされる食文化を築きながら暮らしてきた。
そこから、自然との調和・共生を目指す生活体系を築いてきた。
しかし自然は、時に荒ぶる姿で私たちを襲い、自然との共生は自然の脅威との共生でもあることを今回の地震・津波災害は改めて私たちに突きつけた。
一方で原子力発電所の事故が起こり、私たちの文明と科学の脆さを思い知らされることとなった。
日本人において“食べる”という言葉は“生きること”と同じ意味で語られてきた。
日本のスローフードは、今回の震災で犠牲となった方々に深い哀悼の意を示し、被災者が早く日常の生活に戻れるよう支援を続ける。
そして、地方にある発電所が都会に電力を供給し、また地方が都会に食料を供給するという関係性を見直し、持続可能な社会システム再生に向け、力を合わせ行動していく。

2011年4月9日        スローフードジャパン理事会一同

 

↑理事会後の「あつまり」

緊急アッピール!!                                      東日本大震災(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)

投稿日 2011年03月14日

                                                                                            photo by asahi.com 

支援金の募集を始めます !!

すでにご存じのように、日本の歴史に未曾有の災害が刻まれました。

 被災者・犠牲者の方に、心からお見舞い申し上げます。

この「東日本大震災」(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)の被災地には、スローフードジャパンに加盟する以下の6つのコンビビウムがあります。
私が、3月14日午後4時45分現在、把握している状況は以下です。
 

・SF八戸 →SFよこはまのメンバーがSF八戸のメンバーと電話で接触、SF八戸のメンバーは全員無事の模様。

 ・SF岩手 →mixi によれば、メンバーは全員無事の模様。

・SF気仙沼 →理事長と直接連絡が取れず(*留守番電話)。その後、無事の情報が入るが、本人には確認が取れず(3月15日午前9時30分現在)。その後、3月15日午後3時15分、友人の方が、本人が家族とともに無事であることを、関係者の方に再確認した、との情報が入りました。

・SF宮城 →前SFジャパン事務局長(仙台在住)と直接連絡が取れず(*留守番電話)。SF帯広のメンバーがSF宮城の事務局長と電話で接触、SF宮城のメンバーの安否は不明。その後、前ジャパン事務局長から mail あり。

・SF福島 →SFすぎなみとSF TokyoBayのメンバーが、事務局長と電話で接触。メンバーは全員無事の模様(私への mail )。

・SF茨城 →理事長と連絡が取れず。

 
以上のコンビビウムには、いずれも被災されたメンバーがいらっしゃるかもしれません。
しかし、現段階での状況と報道などの情報を合わせると、SF気仙沼のメンバーの方たちがもっとも多く被災されていると判断せざるをえません。
 
私たちは、励ましの言葉だけではなく、ささやかであっても、いま、自分たちに何ができるか? を考えました。
スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックは、参加コンビビウムの同意により、まず、SF気仙沼への支援金の募集を、下記の通り行います。
国や県・赤十字などの公的機関に寄付することにも意味はありますが、スローフードの理念から考えると、顔の見える相手に直接支援をすべきだと考えたからです。
SF気仙沼のメンバーとは、2月19日に八戸で開かれた全国大会でお会いしたばかりでした。
みなさん、ご協力お願いします。
 
今回の災害は、私たちの日々の暮らしが、自然の恵み=食べ物だけではなく、自然の<脅威>とともに営まれていることを、示しています。本来日本には、自然と共生する<知恵>がありました。その知恵こそ、スローフードの思想と結びつくものです。その知恵が、被災者の方たちの新たな暮らし作りに、役立って欲しいと思います。 
スローフードとは、私たちみんなの言葉です。
 
________________________________________
 『がんばれ! SF気仙沼』 募金
 
①金額
 一口¥3,000円
 (少額でも、何口でも結構です)
 
②振り込み方法
   所属コンビビウム名・氏名に加え、「支援」と明記。
      ↓
 例: すぎなみ 山田太郎 支援
 
 
③振込先
セキュリティー上、下記までメールをください。
battex02@zap.att.ne.jp
 
元メンバーの方、メンバーのお知り合いの方でも結構です。
ご協力をお願いします。

 

↓2007年に気仙沼で開かれた、スローフードジャパン第4回大会と「スローフードフェスタ」。中央の写真が、SF気仙沼・菅原理事長

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みんな、元気だそう! 頑張ろう!

↓(ごめんなさい。埋め込み方がわからないので)

http://www.youtube.com/embed/IxUsgXCaVtc?rel=0

速報 !! 八戸大会

投稿日 2011年02月21日

先週2月19日、青森県八戸市でスローフードジャパン第10回全国会議(NPO法人第4回)が開かれました。
参加者は、約120人(事務局発表)。おもに以下の事項が承認されました。
 
新会長→SFあいち/後藤事務局長
  新副会長→SFすぎなみ/佐々木代表、SF秋田/石田会長、SF栃木/笠原事務局長
      新監事→SF気仙沼/菅原会長、SF茨城/中川事務局長
      新事務局長→SF帯広/山本事務局長
 
②2011年度予算のおもな支出先(*敬称略)
・第1事務局→北海道 SFフレンズ帯広が担当
                業務→ニューズレター「ウン・セーメ」の発行ほか
・第2事務局→東京  SFすぎなみ/佐々木、SF秋田/石田(東京在住)が、個人として担当
                業務→理事会・「あつまり」、スローフードインタナショナル・マスコミ・ 
                    官庁・企業・収益事業対応など  
・第3事務局→未定
                                                業務→アルカ・プレシディオ、ネットショップの運営、生産者リストなど
・第4事務局→愛知 (*SFあいちが担当するのか、SFあいち/後藤が個人で担当するのか不明)
                業務→IT上の会員システムの構築、その他業務全般など
・国際本部への負担金
 
③インターネット上での会員システムの構築
 
*なお、現在宮城県仙台市にある事務局は、移行期間として最低限6ヶ月間は維持
 
総会に先立つ講演で、スローフードインターナショナル事務局長/パオロから以下の提案がありました。
A:スローフードジャパンとして日本でのテーマを決め、それに基ずくイベントの開催
B:インターナショナルが行う国際的なテーマとの連携
 
後藤新会長は、SFすぎなみの総会(2月6日開催)で報告したような経緯により、理事会から会長候補に選出され、総会で承認されました。
 
スローフードジャパン新体制の発足にともない、私たちはシステムの構築や運営の刷新だけではなく、もう一度スローフードの原点に戻る必要があります。

↑前夜祭で歌うSF八戸・河原木会長(おじょうずでした)

スローフードとは、「食」を通して社会を変え、人の生き方を考える国際的な市民運動です。そして、その運動は、それぞれの地域でのコンビビウムの活動によって、具体的に展開されています。いま、日本のスローフードには何ができるのか、日本で、地域を通してスローフードという考え方をどのように広めるのか、が問われています。

パオロ事務局の提案にもあったように、日本からアジアのスローフードを発信してゆかなければなりません。
昨年のテッラ・マードレを締めくくったペトリーニ会長の言葉は、「私たちには、夢見る力がある」だったそうです。
いま、私たちに必要なのは、夢を夢見ることではなく、ささやかではあってもスローフードの夢を形にし、実現してゆく力です。
スローフードの原点に立ち返り、新たな運動の展開を考えましょう。
 
なお、総会終了後、SF八戸主催による公式な交流会の場で、後藤新会長に東京・神奈川ブロックのメンバーへの、ビデオ映像によるメッセージをお願いしましたが、プライベート(プライバシー?)を理由に答えていただけませんでした。
そのときの様子は収録してありますが……。
↑八戸の郷土芸能「せんぶり」が開催中でした。

ザッケローニはさとうさん?

投稿日 2010年09月01日

久しぶりの投稿のあさみです。

サッカー日本代表の新監督が発表されました。
イタリアのセリエAのクラブの監督として活躍されている
アルベルト・ザッケローニさんという方です。

サッカー界では有名な方で、世界的な名監督の一人に数え
られる人だと思います。

この方の名前を見るたびに思っていたのですが、イタリア語
で砂糖を意味するズッケロの訛りではないかなぁと思う
のです。

つづりは監督の名前がZaccheroniで、砂糖がzucchero

語尾にniが付いて砂糖な人?
訛りでつづりが一つ変わるのはよくあることとして、
大目に見てもらえば、そんな気がしませんか?

ちなみに日本にいる有名イタリア人のジローラモさんの
苗字はパンツェッタでつづりはPanzetta、イタリアの
ベーコン(塩漬け豚ばら肉)のつづりはpancetta

苗字の由来って国の文化歴史が反映されていると思うの
ですが、食にこだわりのあるお国柄だからこんな名前が
多いとしたら、イタリア文化を理解する上でおもしろい
ヒントになるのかなぁと思いました。

口蹄疫 7月24日 高円寺チャリティーイベント

投稿日 2010年07月26日

7月24日(土)、JR高円寺駅北口。正午からスローフードすぎなみTOKYOは、高円寺商店街連合会、都内の大学生を中心としたグループ「わかもの農援隊」「SOLA」と共働で、宮崎の口蹄疫被害を救援するチャリティーイベント、<どげんかせんと宮崎>を行いました。

このイベントで行われたのは、おもに宮崎県の農産加工物の販売、被害者の方々へのフォトメッセージの募集、Twitterを使ったオンラインメッセージの書き込み、募金などです。

暑かったです! 最高気温は、隣の練馬で午後2時に37℃の猛暑日。しかし、そんな暑さににもかかわらず、学生ボランティアは30人近く、高円寺商店街の方たちが10人以上、スローフードすぎなみからも7人集まりました。さらに、高円寺名物・阿波踊りの「飛鳥連」の方たちも友情出演して、場を盛り上げてくださいました。その結果、午後4時前には物産は完売。その売り上げ利益と、募金の合計約24万円が宮崎県に送られます。また、フォトメッセージを書いてくださった方は120人近くになりました。これも宮崎県に送られます。

スローフードすぎなみTOKYOは、呼びかけ人と言うより、商店街連合会の実行力と、学生たちの行動力が起こした大きな渦に参加させていただきました。ありがとうございました。

 

 

口蹄疫へのスローフードすぎなみTOKYOの取り組み

私たちスローフードすぎなみは、5月15日に開かれたスローフードジャパン東京・神奈川ブロック・ミーティングの席上、緊急アピール「かつてない口蹄疫の発生について」を提案し、採択されました。→ ‘10.05.15 appeal

翌週から、各全国メディアが一斉に宮崎県での口蹄疫の発生を伝え始めました。その週末の5月22日、スローフードジャパン拡大理事会が開かれ、私たちはスローフードジャパンとして口蹄疫問題に取り組むよう求めましたが、出た結論は「静観する」でした。

しかし、私たちのアピールに応じてくださったグループがありました。東京都内の大学生を中心とするSOLA(日本の農業に一生をかける!学生委員会)でした。SOLAの呼びかけに応え、6月19日多摩川の河川敷に200人あまりの若者たちが集まり、「宮崎和牛を食いつくせ!!  ~学生200人BBQ@多摩川~」というバーベキュー大会を行いました。風評によって販売されなくなった宮崎牛を食べ、被害農家を支援しようというチャリティーです。→ http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2010/06/639/

さらに今回、高円寺商店街連合会の多大な協力の下、SOLAに加え、やはり学生グループの「わかもの農援隊」(農からニッポンを元気に!)とともに、「どげんかせんと宮崎」を開催できました。若い世代のなかに「農」に関心を持つ人たちが少数ではあってもこれほどいて、さらに口蹄疫に対して何らかの行動を起こそうとしていたことを知ったのも、大きな収穫でした。スローフードは、料理だけではなく、そのお皿の外を考える社会運動です。社会運動である以上、日本の「食」が危機に陥ったかもしれない今回のような状況になったとき、社会に対する役割として何らかのメッセージを発し、アクションを起こすのも、スローフードの在り方だと私たちは考えます。

宮崎からの報道によれば、口蹄疫による家畜の移動制限は今夜(27日午前零時)解除され、宮崎県は「非常事態宣言」を終結させる方針です。このまま新たな発症がなければ、今回の「口蹄疫問題」は第一段階を終えたと言えるでしょう。しかし、口蹄疫の問題はこれから第二段階に入ります。畜産農家の再生、口蹄疫が提起した日本の畜産業の脆弱性など、これから始まるのは、より深く大きく困難な課題です。今回の口蹄疫を一過性の問題としてではなく、「食」のより継続的なテーマの一つとして私たちは考えてゆきたいと思います。

 

 

 

スローフード沖縄・奄美からの便り

投稿日 2010年07月20日

スローフード沖縄・奄美が一昨年(’08年)に立ち上げた、NPO組織「食の風」の会報誌が発刊されました。この雑誌は大きさがA5版、値段は250円で書店の他に沖縄各地のコンビニ、「食の風」メンバーのお店にも置かれます。スローフードジャパンの会報誌はなくなってしまいましたが、この会報誌のような形態は参考になるのではないでしょうか? ぼくも最近、専門誌以外の雑誌は、書店ではなくコンビニで買うようになっています。ジャパンが新たな会報誌を企画するならば、従来の「形」での発行は実現しないでしょうし、先が見えています。印刷媒体の危機が叫ばれるなか、いま一番重要なのはメディア・リテラシーだと思います。

なお、「食の風」誌には、スローフードすぎなみTOKYOの味覚教育が紹介されているほか、生で食べられる沖縄伝統野菜、空心菜に似た「サラダエンサイ」の種が付録に付いています。

NPO「食の風」webサイトへはこちらから。http://www.shokunokaze.com/

宮崎×高円寺×学生 「どげんかせんと宮崎!」開催!(7/24)

投稿日 2010年07月01日

口蹄疫進行をどうやら封じ込められる方向であることが、すでに報道でなされています。しかし、完全に終息すれば、それを境に、マスコミもTVも、宮崎県のことをほとんど報道しなくなるでしょう。
宮崎の畜産農家の損害、被害はそのまま残るのに、世の人びとは、結果、宮崎でそんな大被害があったということすらすみやかに忘れていく。
それこそがこわいことだ、と、宮崎県の東京事務所では危機感を持っているようです。

今回のイベントは、口蹄疫の教訓を忘れないことと、まだまだ続く宮崎県内の農家の厳しい状況を引き続き支援していく目的で組まれました。

口蹄疫が深刻化してからこれまで、宮崎に、風評被害で売上が立たなくなっている状況への、何らかの支援をしたいと街や商店街単位で宮崎県の東京事務所に申し出たのは、あとにも先にも高円寺だけだそうです。

今回は、スローフードすぎなみもバックアップしながら、学生たちに全面的に活躍してもらいます。

内容は、口蹄疫被害で悩む宮崎牛の焼肉、宮崎県の物産展をからめながら、口蹄疫に対してのアピールをしていきます。

スローフードのメンバーも、ぜひスタッフ参加してください!

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宮崎×高円寺×学生 「どげんかせんと宮崎!」

日時 7/24(土)12:00~18:00

場所 高円寺北口前広場

内容 口蹄疫被害で悩む宮崎和牛の焼肉販売(BBQ)、宮崎県の商品販売、口蹄疫とその被害に対してのアピールと募金活動等
(物産の売上げから経費差し引き分はすべて宮崎県に寄付します。)

主催 「どげんかせんと宮崎!」実行委員会

共催 高円寺商店街連合会、SOLA、わかもの農援隊、スローフードすぎなみTOKYO

後援 杉並区、杉並商工会議所、宮崎県(以上、予定)
日本の農業に一生をかける! 学生農業委員会SOLA
http://www.sola2006.net/

わかもの農援隊
http://ameblo.jp/nouentai/
実行委員長は、「わかもの農援隊」の武藤寛奈さんに決まりました。
ミーティングを重ねながら、飲食しながら、当日を迎えるべく、急ピッチで準備中です!

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宮崎の口蹄疫、27万6000頭の処分完了

 宮崎県の口蹄疫(こうていえき)問題で、県は30日、ワクチン接種した家畜の殺処分と埋却が終了したと発表した。感染家畜(疑い含む)と合わせて計27万6049頭の処分がすべて完了したことになる。これを受け、東国原英夫知事は1日、イベント開催の自粛などを県民に呼びかけていた「非常事態宣言」について、感染が多発した県東部を除いて解除する方針。

 30日は、高鍋町で拒否している牛農家1戸の6頭を除き、都農町など4町に残っていた最後の3393頭を処分した。知事は「畜産農家の無念や不安は言葉に尽くせないが、埋却や消毒に従事した方や県内外からの支援に感謝したい」とのコメントを出した。

 一方、新規感染は6月18日を最後に発生しておらず、終息確認調査を経て、早ければ7月16日午前0時にも県内全域で移動・搬出制限区域が解除される。

(2010年7月1日  読売新聞)

<口蹄疫をブッ飛ばす!!>                                              元気!熱気!「食」い気!                 ~宮崎牛を食い尽くせ!!~

投稿日 2010年06月20日

昨日(19日)、午後0時30分から狛江市の多摩川河川敷で、東京農大を中心とする学生グループ/SOLAによる、バーベキュー大会が行われました。

 このバーベキューは、私たちスローフードジャパン東京・神奈川ブロックが、先月(5月15日)に発した緊急アピール<かつてない口蹄疫の発生について>‘10.05.15 appealに応えて、SOLAのメンバーが自分たちで企画・開催しました。口蹄疫の風評被害により買い手が付かなくなった非感染の宮崎牛を、お腹いっぱい食べて、宮崎の畜産農家を応援するのが目的です。募金動だけではなく、バーベキューを行ったのは、二つ理由があります。一つは、食べる「楽しさ」を通して応援すること、二つ目は、入手できる非感染の宮崎牛を実際に食べて、風評を吹き飛ばすこと、でした。前夜の激しい雨にもかかわらず朝には雨も上がり、開催時刻には時折日も差す、絶好のBBQ日和。会場には、計画を上回る250人近くが集まりました。そして、100Kg以上用意された肉は、「完食」。すべて参加者のお腹に収まりました。これだけ大規模のイベントを混乱無く進行させたスタッフに、頭が下がる思いです。若い世代を、見直しました。脱帽します!

今回使われた肉のトレサビリティーの一例を、以下に記します。

個体識別番号 0833100892 の切り落とし肉の場合   2010年6月4日 「永山畜産」(宮崎県都城市志比田町)から出荷                        6月5日(株)ミヤチク高崎工場で解体処理          6月8日佐野プレミアムイタリアン(栃木県佐野市大橋町)に入荷後、佐川急便の保冷庫に保管。

この肉の入荷後、6月10日、都城市で牛3頭の口蹄疫感染が確認されました。感染が確認されると、その感染場所から半径10Kmが家畜の移動制限区域に指定され、20Kmまでは搬出制限区域に指定。牛や豚の出荷ができなくなります。今回使ったのは、感染の確認以前に出荷された肉です。都城市では、6月15日に行った、感染源から1Km以内の家畜のウィルス検査の結果、全て陰性(非感染)でした。さらに、6月17日現在、都城市では、新たな感染・感染の疑いの報告はありません。

バーベキューに使われた肉には全て個体識別番号が付けられ、 https://www.id.nlbc.go.jp/top.html でトレサビリティーを確認できます。そのうえ、さまざまな厳しい検査を全てパスしたものでした。つまり、安全な肉でなければ、私たちは入手できないのです。逆に言うと、販売される宮崎牛は、安全なのです。だから、<安全な>宮崎牛をドンドン食べて風評被害を減らし、宮崎県の畜産農家を応援しましょう。そして、SOLAの皆さん、これからもガンバレ!!

武蔵境で八房とうがらしを使ったまちおこし

投稿日 2010年06月11日

おはようございます。あさみです。
読売新聞の地域版に八房とうがらしのことが載っていたので転載します。
SF江戸東京の内藤とうがらしと同じ品種で日野や八王子でも昔作られていた唐辛子です。
甲州街道などを通じて同じ品種のとうがらしが作られていたというのは歴史的な視点からとても面白いなぁと思います。

以下yomiurionline6月8日地域版から転載

農業体験で唐辛子の苗を植える親子連れら(武蔵野市の高橋農園で)
 同じ武蔵野市内で「住んでみたい人気の街」とされる吉祥寺、三鷹に負けぬよう、武蔵境の街も盛り上げようと地元企業や大学、商店などの有志でつくる活性化委員会が2年がかりでまとめあげた「ほっとタウン武蔵境プログラム」が動き出した。4月から、地元産の唐辛子を使った激辛料理などを参加店が企画する「さかいHOTほっと」を始めたほか、6日には、唐辛子をみんなで育てようという「第1回武蔵境アグリHOT体験」を開催し、親子連れなど地元の市民約80人が唐辛子の苗植えなど土いじりに汗を流した。

 武蔵境活性化委員会は、武蔵野商工会議所会頭の提案で2008年7月に若手事業主を中心に発足。09年2月からは、地元住民、大学や病院、金融機関、生産農家なども加わり、活性化のアイデアを考えてきた。

 「緑の多い落ち着いた住宅地が広がっており、千川上水や玉川上水など水に縁がある」「数多くの教育機関があり、数千人規模の学生が生活している」――こうした、吉祥寺や三鷹とは異なる武蔵境の特色や魅力に注目し、メーンスローガンを「わくわく元気な街、武蔵境」と決めた。

 活性化委員長を務める武蔵境自動車教習所の高橋勇会長(62)によると、実は、武蔵境は唐辛子の町でもあった、という。北原白秋の詩には「武蔵野のだんだん畑の唐辛子 いまあかあかと刈り干しにけれ」(「桐の花」より)とうたわれ、昭和初頭まで武蔵野近郊では「八つ房唐辛子」というとても辛い唐辛子が栽培されていたという。

 高橋さんは、「激辛商店街」で町おこしに取り組む京都・向日市や、「とうがらしの郷(さと)」として知られる栃木県大田原市を訪れて交流。4月からJR・西武線武蔵境駅周辺で始めた企画「さかいHOTほっと」には、中華料理やカレー、うどん、お好み焼き、すし、せんべいなどの工夫を凝らした「激辛メニュー」を20の飲食店が参加して提供している。

<かつてない口蹄疫の発生について>                                 緊急アピール・続報

投稿日 2010年05月22日

今日(21日)、宮崎日日新聞報道部の記者から連絡があり、先日発したスローフードジャパン 東京・神奈川ブロックの<緊急アピール>(抜粋)が、宮崎日日新聞の特設webサイト「激震・口蹄疫」、<絆メッセージ>のページに掲載されるそうです。この<絆メッセージ>は、本紙の紙面に掲載されたものを、web化しています。掲載がいつになるのかわからないほど(おそらく、来週中とのこと)、多くのメッセージが殺到しているそうですが、私たちの発した言葉が、そのメッセージのひとつになり、被害者の方たちに少しでも伝われば幸いです。

宮崎日日新聞の特設webサイト「激震・口蹄疫」

http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php

<かつてない口蹄疫の発生について>                                        スローフードジャパン 東京・神奈川ブロックからの緊急アピール

投稿日 2010年05月16日

埋められる疫蓄を見守る生産者の方(/共同通信)

皆さん。九州・宮崎県で、牛や豚などの家畜が罹る病気「口蹄疫」が、日本の畜産史上最大の規模で発生していることは、ご存じかと思います。私たち、スローフードすぎなみTOKYOが所属するスローフードジャパン東京・神奈川ブロックは、昨日(15日)のミーティングで、この事態への「緊急アピール」を採択しました。会員の皆さんに口蹄疫の実情を伝え、被害に遭われた方々へ声援を送るためです。以下から、お読みください

‘10.05.15 appeal

また、地元の宮崎日日新聞では、口蹄疫に関するwebサイトを特設しています。被害者の方たちへ励ましのメッセージをお寄せください。

http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/bbs.php?id=20100515&paging=1

日本人の腸内細菌群は海藻の消化に適していることが判明

投稿日 2010年04月08日

日本人が戦後、ミネラル摂取量が減ってきたという、その一因とされているのが海藻を食べる量だと言われます。

ところが、水産庁のHPから、戦後の海産資源についての生産量と自給率の推移を見てみると、確かに海藻も含め全体的に落ちてきているものの、海藻に関しては自給率も67%で、ここ数年は回復基調にあります。

日本は海に囲まれた国。
もちろん、海に面してない地域も多数ありますが、海産資源の恩恵はずっとずっと大きかったわけで、今後も、これは失ってはならない部分でしょう。

特にぼくは、海藻の復活を足掛かりに、海産資源全体へと輪を広げていけないかなあ、と考えております。

のり食べる生活に適応=日本人の腸内細菌群-消化遺伝子取り込む・仏大学
4月8日2時7分配信 時事通信

 のりやワカメ、昆布などの海藻をよく食べる日本人の腸には、海藻に含まれる多糖類の分解酵素を持つ細菌がいて、消化に貢献している。この多糖類の分解酵素遺伝子は、海藻に付着している細菌から取り込まれた可能性が高いことが分かった。フランスのピエール・マリー・キュリー(パリ第6)大学の研究チームが8日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
 この多糖類分解酵素「ポルフィラナーゼ」の遺伝子や、寒天の主成分アガロースの分解酵素「アガラーゼ」の遺伝子は、米国人の腸内細菌群からは見つからなかった。腸内に共生する細菌群は、人間の食生活に適応しているとみられるという。
 日本人の母と乳児では、ともにこれら2種類の遺伝子が腸内細菌群から検出された。細菌群が母から子へ伝わる経路もあると考えられる。 

食糧自給率の<不思議>

投稿日 2010年04月07日

なぜか無視される「生産額ベース自給率65%」という数字

なぜか無視される「生産額ベース自給率65%」という数字

生産額ベースでなら、「我が国の食料自給率は70%あり、主要先進国と比べてもそんなに悪い数字ではない」と発表することもできますね。ちなみに、生産額ベースの自給率が100%を超えるのは、単純に食料の輸入額を輸出額が上回っているからです
図版デザイン/坂井大輔

 

「日本の食料自給率はたったの40%!」…こんな報道を耳にしたことはないですか? 農業や食糧問題を論ずる際、必ずといっていいほどこの「自給率」が引き合いに出されます。でも、自炊してる人はわかると思いますが、スーパーの棚に並んでいる農産物はだいたい国産なんですよね。農家で大量廃棄される野菜がニュースになったりしますし、コメにいたっては長年減反政策がとられています。どうも一般的な生活実感とズレているように見える自給率ですが、いったいどういう数字なんでしょう?

農林水産省によれば、食料自給率とは「国内の食料消費が、国内の農業生産でどの程度賄えているかを示す指標」で、個別の品目によらない総合的な自給率を表すものとして「カロリーベース総合食料自給率」と「生産額ベース総合食料自給率」があります。で、広く世間に流布しているのは「カロリーベース」の方。計算式にすると、

1人1日あたりの国産供給カロリー ÷ 1人1日あたりの供給カロリー

となり、最新値である2008年の数字を見ると、分子が1012kcal、分母が2473kcalで、自給率は41%です。一方の生産額ベースは、

食料の国内生産額 ÷ 食料の国内消費仕向額(国内で消費される食料の生産額)

で、同じく08年の数字なのに分子10.0兆円、分母15.3兆円で自給率65%と、ずいぶん高くなります。しかし、こちらの数字が表立って報道されることはほとんどありません。もともと食料自給率は、1965年から生産額ベースだけで発表されていたのに、83年にカロリーベースがひょっこり現れて以降、生産額ベースの自給率はすっかり影が薄くなってしまいました。結果、「40%」という数字だけが刷り込まれ、国民のあいだには漠然とした自給率への不安が募り、農水省には巨額の「自給率向上対策費」が割り当てられるようになりました。

そもそも、我が国では「自給率」が幅を利かせていますが、実は自給率を計算しているのは日本と韓国だけで、諸外国ではまったく問題視されていません。よく日本と比較される主要先進国のカロリーベース自給率も、農水省がFAO(国際連合食糧農業機関)の統計から“独自に”はじき出したものです。さらにいえば、日本の数値が高めに出ている生産額ベースでの各国比較は、不自然なほど話題になりません。まるで「日本は先進国中最低の自給率!」といいたいがためのデータのような、作為的なものを感じてしまうんですよね…。

webR25 2010.03.30 より転載

スローフードジャパン                                先月(3月6日)の奈良大会 報告

投稿日 2010年04月03日

遅くなってしまいましたが、3月6日に奈良で開かれたスローフードジャパン全国総会の報告です。スローフードジャパンは、何が変わって、何が変わらないのか・・・・、お読みください。

‘10.03.06 SlowFood JAPAN NaraConf.

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