イタリアのプレシディオ野菜、 カルド・コッボをバーニャカウダで味わう
投稿日 2013年02月13日
スローフードは、社会の変化によって消滅してしまう可能性がある食品・食材をArk of Taste(味の箱舟・アルカ)としてリスト・アップしています。 さらに、アルカより厳格な条件を満たした世界中の365品目(2012年8月現在)を、Presidia(味の砦・プレシディオ)に指定して保護に努めています。プレシディオのひとつに登録されているのが、イタリア・アスティ市郊外で採れるカルド・コッボという葉野菜です。そのカルド・コッボを、生産者のボンジョバンニさんが私たちへ個人的に送ってくださいました。
そこで、スローフードジャパン東京/神奈川ブロックと貴重な食品・食材のリストアップを進めるArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、ボンジョバンニさんのカルド・コッボをバーニャカウダで食べる会を開きました。人と人のつながりがあれば、スローフードが掲げる国際性は組織に頼らなくてもこんな形で実現できます。スローフードを生むのは、人間とその魅力です。
ボンジョバンニさんが住むニッツァ・モンフェラット村へは、イタリア北部の都市トリノから車で約1時間。じつは、昨年10月トリノで開かれたスローフードの国際的なイベント「テッラ・マードレ&サローネ・デル・グスト」に参加したArk(味の箱舟)委員会のメンバーは、プレシディオ(味の砦)の生産現場を見学するためにニッツァ・モンフェッラット村を訪れたのです。ボンジョバンニさんが生まれた約70年前、カルド・コッポは市場で人気があり、ボンジョバンニさんは「私はカルド・コッボの間から生まれたんです」と、笑いました。
カルド・コッボは、茎を軟白化(柔らかく)させた葉野菜です(↑写真上)。日本にも、同じように茎を柔らかくさせる葉野菜があります。Ark(味の箱舟)に登録されている山形県の「雪菜」です。雪菜の場合は雪の中に寝かせて茎を柔らかくしますが、イタリアのカルド・コッボは土に寝かせます。ところが、カルド・コッボが売れるようになると充分に軟白化させない物が出荷されるようになり、味の評判が落ちて売れなくなりました。伝統的な方法で作り続けるボンジョバンニさんのカルド・コッボが、テレビの番組で放映されて売れるようになったのは10年ほど前からです。そして、ローマやナポリのレストランから注文が来るようになりました。ボンジョバンニさんが一人で守ったカルド・コッボは2006年にプレシディオ(味の砦)に認定され、彼はスローフードの名誉会員証をうれしそうに見せてくださいました。カルド・コッボは、まるでセロリのようです。トリノ近郊に住む人の協力で日本に来たボンジョバンニさんのカルド・コッボは、まず茎を分けて筋を取り、収穫してから時間がたつと生まれるエグ味を、レモン水に浸して取りました。
スローフードのプレシディオ(味の砦)に日本で唯一登録されているのは、長崎県の「雲仙こぶ高菜」です(↑写真上右)。その「雲仙こぶ高菜」を、雲仙市で伝統野菜を栽培している岩崎さん(スローフード長崎会長・↑写真上左)が送ってくださいました。岩崎さんは「雲仙こぶ高菜」だけではなく、カルド・コッボと一緒にバーニャカウダで食べる「女山大根」「長崎赤蕪」なども送ってくださいました。地域に伝統的な食品・食材を維持・復活させるのが、Ark(味の箱舟)の目的です。そこで、カルド・コッボの生産地直伝レシピで作るバーニャカウダには、日本で最初にArk(味の箱舟)にリストアップされたもののひとつ「エタリの塩辛」を使いました(↓写真下の下段)。本場のバーニャカウダには、オイル漬けのアンチョビ(カタクチイワシ)ではなく塩漬けのアンチョビが使われますから、「エタリの塩辛」は最適です。さらに、ワインはメンバーの一人がイタリアで手に入れたバローロ、バルバレスコ。バローロは1980年代品質が悪化し、スローフード運動が生まれるきっかけになったワインです。
使われた食品・食材が、ほとんどスローフードに関わるもので開かれたこの日のカルド・コッボの試食会は、スローフード的に考えると夢のように豪華な宴でした。会場が個人の住宅だったため参加人数を制限せざるえませんでしたが、集まったのはスローフードすぎなみTOKYOをはじめ、スローフード東京・東京Bay・横浜など東京/神奈川ブロックの4つの支部(コンビビウム)のメンバーと関係者。まさに、スローフードを支えるのは、会議ではなく人と人のつながりなが生む喜びであることを実感できた一夜でした。スローフードは、食べる喜びから社会や経済を変えてゆく運動です。
ボンジョバンニさん、岩崎さん、ありがとうございました。
現地直伝レシピ : 塩漬けアンチョビで作るバーニャカウダ
by 黒川陽子 / Ark(味の箱舟)委員長
材料:
塩漬けアンチョビ(カタクチイワシ *オイル漬けではない)、ワインビネガー適量、オリーブオイル200g(リグーリア州タジャスカ種のものが好ましい)、ニンニク5片、牛乳適量、酢小さじ1/2(一人あたり)、唐辛子適量(隠し味)、バター小さじ1 (一人あたり)
作り方:
①塩漬けにしたアンチョビを、ワインビネガーに30~40分漬け込み、塩抜きをする。
②アンチョビを3枚におろして水気を切り、内臓を取り除く。1人分100gを用意して、身をほぐす。
③ニンニクの芯を取り、柔らかくなるまで牛乳で煮る(水で煮る場合は、ニンニクが柔らかくなるまで3回ほど水を替える)。
④ ③をつぶし②のアンチョビと合わせ、オリーブオイルをヒタヒタになるまで加える。
⑤ ④を入れた器を火にかけ、アンチョビが溶けてなくなるまで混ぜる。
⑥酢、バター、唐辛子を入れて仕上げる。
⑦ ⑥のソースに野菜を浸して食べる。
番外編・カンヌからのたより②
投稿日 2012年05月27日
南フランスのカンヌに滞在しているスローフードすぎなみTOKYOのメンバーが、現地から再び便りを届けます。
残念ながら、『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(監督/若松孝二)はカンヌ映画祭での受賞を逃しました。でも、この作品がカンヌ映画祭にノミネートされて正式に招待されたこと自体が、世界の評価のひとつを表していると思っています。
さて、映画祭ではインタビューを受ける監督や俳優を除くと、スタッフは意外に時間を持て余します。すでに通い慣れたマルシェ(?)の角の食堂でひとり晩飯を食べていると、夜の闇が少しずつ濃くなりました。
ぼくはヨーロッパの夏の暮れゆく長い時間を、店の外でこうやって美味しい物を食べながら、周囲をボンヤリ眺めて過ごすのが大好きです。そうやってマッタリしていると、スローフードの底を流れているのは、結局「食べ物への愛」ではないかと思えてきます。スローフードの社会的役割、地域社会との関係、環境や健康からの観点などを否定するわけではありません。でも、食べ物への愛があるからこそ、それら食べ物を巡る状況に思い至るのです。美味しい食べ物は、人に幸せを感じさせます。だからこそ、人はその美味しい理由を考え、それを考える視線がお皿の外に至ります。美味しさへの語らいが蘊蓄を超え、美味しさの存在理由を語り始めたときに誕生したのが、スローフードという言葉とその考え方なのではないでしょうか……。
この映画の主人公である三島由紀夫は、かつて<人間の存在は皮膚から一歩も外に出る事ができない>と言っていました。三島が精神と肉体の美しさに拘った理由は、そこにあります。しかし、人間は食べ物を皮膚の一種である胃や腸などの粘膜を通して外部から吸収します。<皮膚から一歩も外に出る事ができない>人間は、じつは食べ物によって<外>とつながっているのです。もし、三島由紀夫が生きていた時代にスローフードという言葉があったら、彼は何を語っただろうか……などと、とりとめもない妄想が膨らむ旅の時間です。
(↑ ライトアップされたカンヌの丘の城と、港を埋める豪華ボート、街並み)
東日本大震災 支援⑭
高円寺・被災地応援マルシェ vol.4
投稿日 2012年05月03日
あの日から、二度目の春が巡ってきました。私たちは東日本大震災の被災地を継続的に支援するため、毎年杉並区高円寺の10の商店街が連携して開く『高円寺びっくり大道芸』の会場を借り、今年も4月28日と29日にJR高円寺駅南口広場で応援マルシェ(市場)を開きました。
数年前に生まれたバイコット(BUYCOTT)という言葉は、ボイコット(BOYCOTT)とは正反対に消費者が商品を買ってその生産者を支える運動を意味します。生産は消費がなければ成り立ちません。大量生産・大量消費によって問われるのは、消費者の意識の在り方です。良い食材・食品を作る小生産者を守ろうとするスローフード運動は、その方針のなかにバイコットの考え方を強く持っています。私たちが行う被災地応援マルシェは、被災地の生産者の方々の商品の購入し、困難な状況で生産を続けようとする人たちの僅かながらも力になりたいと願う、バイコットのひとつです。
汗ばむほどの晴天に、出店してくださったのは岩手県大槌町のエルマーノ洋菓子店、味噌・醤油の醸造元・岩手県陸前高田町の八木澤商店、私たちが毎月勉強会を開く「六本木農園」関連の生産者、福島県いわき市出身の女将がいる中野区野方の居酒屋「もじよ」など。私たちはスローフード気仙沼の男山本店のお酒、スローフード福島の人気酒造のお酒、斉藤さんのキュウリ、丹野さんの味噌などを直接販売しました。そして、東京農大の学生たちが声をからして通行人に呼びかけてくれた結果、売れゆきは好調。ほぼ完売でした。 東日本大震災から一年過ぎた春、互いに支え合うバイコットを通して新たな絆が生まれつつあります。
3月17日、高知市で
スローフードジャパン総会を開催
投稿日 2012年04月04日
3月17日、高知県・高知市でスローフードジャパン第11回全国大会が開かれました。この大会は、スローフードジャパンが2008年にNPO法人化してから第5回目の会員総会で、法的に定められた総会です。
大会前日(16日)に理事会が開かれ、後藤毅会長が提案した「会長抽選制」が協議されました。これは、NPO法人スローフードジャパンの会長を、<会員総会に参加する39歳以下の会員から2年に一度抽選で選ぶ>という案で、抽選に当たった会長は理事の罷免・会員の除名などの権限を持つという内容でした。しかし、理事会ではこの提案を総会で採決議案とすることが見送られました。(↑写真上 左・総会で講演するパオロ国際事務局長。右上・大会が開かれた高知会館。右下・前日の理事会)
大会は、17日午後1時30分から高知会館で開かれました。NPO法上の会員総会の前に、昨年12月に長崎県雲仙市で開かれた「テッラ・マードレ in 雲仙」と、地元高知の農業についてそれぞれ報告があり、スローフードインターナショナル事務局長パオロ・クローチェ氏と食育オフィス責任者ヴァレリー・コメッティさんの講演がありました。尾崎正直高知県知事が祝辞に駆けつけた総会では、全国9ブロックから18人の理事を選出する事、現会長・副会長・事務局長・監事の続投、2011年度決算、2012年度予算などが承認されました。
会員総会後の懇親会では、高知県の郷土料理が振る舞われ、タケノコやコンニャクの寿司(←写真左上から3番目)やクジラ料理(←写真左上から4番目)などが並びました。クジラ料理は、知る人ぞ知る高知の名物料理です。かつて、室戸岬では紀伊半島の太地から伝わったクジラ漁が行われていて、その伝統がクジラ料理としていまも高知には残っています。宴たけなわわのころ、高知市役所の「よさこい」チームが、鳴子を振りながら乱入。会場は「よさこい」の熱気に包まれました(↑最上段の写真。「よさこい」を踊るヴァレリーさん)。また、声楽を勉強する女子高生が昭和30年代のヒット曲『南国土佐をあとにして』『花はどこへ行った』などを朗々と歌い上げ、南国土佐ならではの、そしてスローフード高知の気持ちやモットーが伝わる大会でした。
高知県は、黒潮が想像させるイメージとは異なる山国です。四国を横断する山脈で瀬戸内海に面する3県と隔てられた高知は、山国ならではの独特の文化を育んできました。高知市の中心部では近郊の生産者が軒を並べ、数百年の伝統を持つ「日曜市」をいまも開いています(↓写真下上)。そして、現在、高知県は農薬に頼らず農作物を天敵や防虫ネットで防ぐ農業技術(IPM)の先進県です。地域と生産物とともに歩むスローフード高知が、今回の大会に掲げたテーマは<足るを知る>でした(↓写真最下段 大会前夜祭で乾杯の音頭をとるスローフード高知の上田孝道会長)。
東日本大震災 支援⑫ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』 を東京で上映!!
投稿日 2012年02月23日
スローフードすぎなみTOKYOのメンバーが制作した東日本大震災と日本のスローフード各支部の対応を描く短編ドキュメンタリー映画が、3月10日(土曜日)に東京・信濃町で上映されます。(参照→Yidff2011)
この映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』の英語版は、昨年6月11日にモロッコのラバトで開かれたスローフードインターナショナルの国際会議で上映されました。日本語版は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」で応募作品約1,800本のなかから選ばれた一本に入り、昨年10月7日山形市で上映されました。また、今年1月13、14日には、阪神・淡路大震災の被災地神戸でも上映されています。今回の東京での上映は、山形国際ドキュメンタリー映画祭の震災復興支援プロジェクトのひとつとして、東日本大震災をモチーフとした他の18作品とともに下記のように上映され、今後も国内各地で上映される計画です。ぜひご覧ください。
(*なお、この作品の映像使用料は原発災害に被災したスローフード福島に全額寄付されます)
日時:3月10日(土曜日)午後2時35分から
(*『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』と併映)
料金:¥800円
会場:信濃町・「外苑キャンパス」(京都造形大学/東北芸術工科大学)
http://www.tuad.ac.jp/declaration/accessmap/tokyosatellite/
TEL:03-5412-6101
↓この映画に登場するスローフードのメンバー
東日本大震災 支援⑪
高円寺・被災地応援マルシェ(市場) vol.3
投稿日 2012年02月23日
2月18日、スローフードすぎなみTOKYOは高円寺で開かれた「第2回高円寺演芸まつり」で、東日本大震災に被災した宮城県気仙沼市「男山本店」と福島県二本松市「人気酒造」の酒を売りました。
「男山本店」は津波で港に面した事務所が全壊し(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)、「人気酒造」は地震による地割れのため蔵の場所を移転せざるをえませんでした。この日用意した酒は焼酎・リキュールなどを含め全部で60本。北風が冷たく東京ではとくに寒さを感じる日でしたが、その60本全部を完売しました。御協力、ありがとうございました。
東日本大震災 支援⑧
宮城県・長面(ながつら)浦の焼きハゼ
投稿日 2012年01月20日
東日本大震災は、私たちの味覚にも痕跡を残します。
仙台の雑煮に欠かせない焼きハゼで、もっとも伝統的な長面(ながつら)浦の焼きハゼが消えてしまうかもしれません。
それぞれの地域で、数少ない生産者によって受け継がれてきた食材・食品を残す活動は、スローフードが提唱する重要なテーマのひとつです。
<長面浦の焼きハゼ>は、2005年ほかの8品目とともに日本で初めてスローフードの「味の箱船(ARK)」に選ばれました。「味の箱船」とは、このままでは消えてしまう伝統的な食品・食材を、世界的なガイドラインに沿ってリストアップするスローフードの国際的なプロジェクトです。焼きハゼは松島湾などでも作られていますが、<長面浦の焼きハゼ>には焼いた後に煙で燻す古い製法が残されていました。また、その製法を代々受け継いできた事が評価され、「味の箱船」にリストアップされたのです。
(←長面地区の子供たちが通った大川小学校で。ここで、74人の児童が犠牲になった)
長面浦は北上川の河口に接する海水が出入りする湖で、周囲8キロほど。牡蠣の養殖やハゼ漁が行われていました。その湖に面した長面地区は津波のために漁港も含めたすべてが失われ、満潮のときは地震による地盤沈下で、住宅地のほとんどが海水に浸されます。震災前、約500人が住んでいた長面では、69人が亡くなり25人がいまも行方不明です。焼きハゼを作っていた榊照子さん(68)のお父さんの遺体が見つかったのは、9月17日でした。
追波(おっぱ)川河川運動公園の仮設住宅で、照子さんは語ります。「被災後は、長面浦には行きたくありませんでした。でも、6月に避難所からここへ移り、7月に船が瓦礫の中から見つかったので、せめて漁網だけでも注文しようと思いました。父の遺体が見つかったのは、9月です。スローフード宮城の方は、震災直後から何回も訪ねてきて、焼きハゼ作りの再開に協力を申し出てくださいました。長面浦では、ほかの魚はほとんど獲れなくなったのに、ハゼだけは獲れるんです。それで、もういちど作ってみようと決めたのは11月頃です」 照子さんは、12月に50連約600匹の焼きハゼを作りました。 (↑写真上 左・榊照子さんの家があった周辺。 写真上 右・潮が満ちてくると海面になる、と言う。→写真右 上・運動公園の仮設住宅。写真右 下・左側が照子さん。右側はお母さん)
しかし、スローフード宮城とスローフード仙台のメンバーが壊れた車庫を利用して作った、ハゼを焼くための仮作業場はもうすぐ取り壊されます(↓写真下)。次の作業場は、場所さえまだ決まっていません。また、岸壁も全壊したため、ハゼ漁に使う船はかろうじて残った堤防の片隅に係留されています(←写真左)。<長面浦の焼きハゼ>作りは、この冬なんとか再開できたものの、来シーズンの見通しは立っていないのが実情です。スローフード宮城とスローフード仙台では、<長面浦の焼きハゼ>復活募金を、下記のように行っています。
①募金額 / 一口¥3,000円(少額でも、何口でも結構です)
②振込先 / 杜の都信用金庫 本店営業部
口座名義: スローフード宮城
口座番号: 普通預金 1581336
<長面浦の焼きハゼ>がリストアップされている「味の箱船」は、スローフードが考える生物多様性につながっています。スローフードが考える生物多様性は、科学的な意味での多様性だけではなく文化としての多様性です。そして、味覚は文化の多様性を語る要素のひとつです。 <おいしい・きれい・ただしい>を掲げるスローフードの原点は、そこにあります。 <長面浦の焼きハゼ>が姿を消すとき、それは何を意味するのでしょうか……。
補足説明:東北被災地取材DVDの上映
投稿日 2011年07月15日
6月11日、モロッコの首都ラバトで開かれたスローフード・インターナショナルの国際会議の席上、ぼくが製作・監督した短編ドキュメンタリー作品(英語) が、スローフード・インターナショナル事務局によって、上映されました。
その上映の経緯について、補足説明します。
5月15日、スローフードジャパン副会長で会議に出席する、SFすぎなみ代表の佐々木さんにお会いしたとき、この作品の国際会議での上映を、インターナショナル事務局に申し入れるようにお願いしました。しかし、佐々木さんからは、「無理でしょう」との返答でした。また、同じく会議に出席するSF秋田の会長でスローフードジャパン副会長の石田さんにも、そのとき電話でお願いしましたが、明確な返答をいただけませんでした。
その後、佐々木さんからも、石田さんからもこの件に関しては、全く連絡がありませんでした。
そこで、ぼくはスローフード・インターナショナル事務局長のパオロ・クローチェさんに直接連絡を取りました。
すると、作品を観たいのですぐに送ってくれ、との要請があり、6月1日、パオロさんと、英語が苦手なペトリーニ会長にはイタリア語版の作品を、Fedexで発送しました。
あとでわかったことですが、作品を観たパオロさんが、国際会議での上映を決めました。ただし、会議が行われるアラブ式の中庭には上映設備がなく明るいので、屋内で開かれる昼食の時に上映することになったそうです(パオロさんの秘書シモーナさんの話)。
ラバト現地で、パオロさんと佐々木さんとの間に実際にどんな遣り取りがあったのか、ぼくは知りません。しかし、パオロさんはこの作品を事前に観て、インターナショナル事務局として会議で上映する価値がある、と判断しました。上映が実現したのは、彼が、地震・津波と原子力発電所の爆発に被災した日本からのメッセージを紹介することに、意味を認めたからです。パオロさんは、けっして好意や同情で上映を決めたわけではないと思います。
6月6日の夕刻、佐々木さんにお会いし、この作品をパオロさんとペトリーニ会長に直接送った事を伝えました。そして、作品のコピーを渡し、SF気仙沼の菅原さんを訪ねたときにぼくが購入した日本酒『蒼天伝』を一本、ペトリーニ会長に直接届けてくださるようお願いしました。(なかに、ぼくからペトリーニ会長へ宛てたカードを入れておきました)
じつは、この作品の上映に協力してくださったのは、SFすぎなみのメンバーで、スローフード食科学大学日本事務所の原さんでした。ぼくや原さんと、パオロさんの秘書シモーナさん、ペトリーニ会長の秘書ラウラさんとのmail、電話での度重なる遣り取りを、佐々木さんはご存じないようです。
この作品を、ある国際的な映画祭で上映する計画もあります。そのような作品が、スローフード・インターナショナルの国際会議で上映された経緯を、誤解なく理解していただくために、あえて補足説明をしました。
作品の日本語版『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』(英語版原題/From a country Struck by Twin tragedies…/DVD20分)も、ほぼ完成しました。
皆さんにもご覧いただく機会があるかと思います。
現地ラバトでは、佐々木さん・石田さんに御協力をいただき、感謝しています。
追記:
短編ドキュメンタリー映画『二つの悲劇 ─東日本大震災とスローフード運動』は、その後、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」への全世界からの応募作品約1,800本の中から選ばれ(約240本が選定)、昨年10月7日に山形市で上映されました。また、今年1月12日・13日には17年前阪神・淡路大震災で被災した神戸市で上映され、3月10日には東京で上映されます。そして、その後も全国各地で上映される計画です。しかし、残念なことですが、上記経緯によりこの作品のタイトル・ロールに、スローフードジャパンの名はクレジットされていません。
東日本大震災 支援⑥
スローフード気仙沼への支援金
投稿日 2011年05月05日
5月3日、スローフードジャパン副会長の佐々木俊弥さん(スローフードすぎなみTOKYO代表)は、宮城県気仙沼市を訪れ、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが募ったスローフード気仙沼への支援金を、理事長の菅原昭彦さんに直接手渡しました。
この支援金は<顔が見える相手に、直接支援>を訴え、震災直後の3月14日にスローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが呼びかけたものです。
(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)
その結果、5月2日までに、全国各地のスローフードメンバーやその知り合い、このwebサイトの閲覧者、スローフードすぎなみTOKYOと交流があるスローフードベルリン、東京・新宿の居酒屋「あいうえお」などから合計940,997円が寄せられました。また、4月13日に日本料理のチャリティー・ビュッフェを開いたスローフードベルリンからは、参加者がスローフード気仙沼のメンバーにメーセージを書き込んだノートも届きました。左の写真は、そのノートに見入る菅原さんです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/04/1489/)
菅原さんのご家族は全員無事でしたが、スローフード気仙沼のメンバーの方が1人亡くなりました。また、菅原さんが営む男山本店という日本酒の酒蔵では、数人の方が亡くなり、家を失った社員も何人かいます。「ここ気仙沼では、生きている人が100人いると、300のドラマがあるんです」と、菅原さん。
菅原さんはこう語ります。「漁業の町・気仙沼では、漁業生産者への直接的な支援は難しいでしょう。今後求められるのは、つながりを絶やさない継続的な支援です。今回の震災は、地域社会を大きく変えます。スローフードにできることは、その変化のなかで、この土地で培われたきた伝統や漁村文化を継承してゆくことです。私の友人は、『いままで、おれたちは海から色々な恵みを受けてきた。今回の津波で、おれたちはそれをいったん海に返したんだ』と、言っています」
5月4日午後4時現在、気仙沼市で死亡が確認された人は913人。行方不明者663人。全壊した家8,383戸。半壊した家1,861戸。人口約73,000人のうち4,930人が、市内51の施設で避難生活を送っています(宮城県調べ)。
市内中心部の、巨大な力で引き裂かれた人間の暮らしを見て、佐々木さんに同行したスローフードすぎなみTOKYOのメンバーは、ただ立ち尽くすだけでした。
しかし、復興の歩みはすでに始まり、菅原さんはその一端を担っています。港に面していた男山本店の事務所は昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されていました。事務所は、1・2階部分が消滅。3階がそのまま地上に落ちてしまいました(写真下)。地盤沈下のため、満潮時には前の道路が冠水します。酒蔵にも、門の数メートル手前まで海水が押し寄せましたが、幸いにも津波の被害は免れました。そして、昨年11月に仕込んだタンク2本が無傷で、なかから「もろみ」が呼吸する音が聞こえたそうです。復興を望む被災者の声に押された菅原さんは、その「もろみ」で新酒造りを決意し、3月28日に銘酒「蒼天伝(そうてんでん)」を絞り終えました。菅原さんの新酒造りはテレビで伝えられ、報道された新聞や雑誌の記事や、励ましのメールが新たな事務所に貼られています。
↑ 震災を乗り超えて生まれた、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」
東日本大震災 支援⑤
高円寺・被災地応援マルシェ(市場)
投稿日 2011年05月04日
スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日/5月1日の二日間、
福島原発災害の風評被害に遭っている生産者の方たちを支援するため、
<被災地応援マルシェ(市場)>を、JR高円寺駅南口広場で開きました。
このイベントのきっかけとなったのは、昨年、宮崎県で広がった口蹄疫への支援イベントを、スローフードすぎなみTOKYOと一緒に行った大学生グループの一人、神野政史(東京農大3年)さんの想いです。(参照→http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/)
実家が、福島第一原発から避難を強いられる計画的避難地域・川俣町の一部にある神野さんは、放射能汚染の風評被害を受けている多くの地域の生産者に、何かアクションを起こせないか、と思いました。その想いに応え、スローフードすぎなみは4月30日/5月1日に開かれる<第3回高円寺びっくり大道芸2011>で、風評被害を受けている地域の方たちに、生産物を販売する場を、自分たちの力でささやかながら作ろう、と考えたのです。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応えてくださったのは、スローフード福島、スローフード茨城(写真右上・サブリーダーの中川純一さん)、農家の若い世代の就農を目指すレストラン・東京/六本木の「六本木農園」(写真右下・弥生一葉さん)、福島県の「JAしらかわ」など。
スローフードすぎなみは、前回の「座の市」に引き続き、スローフード福島メンバーである斉藤保行さんのキュウリ、同じく福島のメンバーである人気酒造の日本酒・リキュール・「食べる酒粕」などを販売し、スローフード茨城は、レタスなどの生鮮野菜のほかに、小鯛やカレイなどの魚介類も持ち込みました。また、六本木農園の生産者グループは、鈴木農園の「ジャンボなめこ」、内山さんのサツマイモ、堀米農園のウド、田中さんのnippa米、若手生産者グループ「農援隊」のコメ・アスパラなどを網羅。JAしらかわは、コメ・餅・イチゴ・野菜などを売りました。
今回、販売の中心になったのは、スローフードすぎなみのメンバーや、その知人・友人の女性たちです。彼女たちが担当する斉藤さんのキュウリ、人気酒造の日本酒などは次々に完売し、日本酒は追加注文を出しました。手伝ってくださった女性のなかに、実家と田が津波で被災し、さらに福島第一原発の警戒区域に指定され、故郷に立ち入ることができない浪江町の方もいらっしゃいました。 「風評」は姿や顔・形が見えない場所から、想像力で生まれます。2日間、呼びかけ、売り続けた女性たちのエネルギーは、その被害を風のように吹き飛ばしたのかもしれません。 そして、浪江町の方にいただいた、津波に侵される前に穫れた「最後の玄米」の味わいに、言葉を失ってしまいました・・・・・・。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援④
スローフード沖縄・奄美からのたより
投稿日 2011年04月22日
4月20日、スローフード沖縄・奄美が主宰するNPO法人「食の風」は、 震災被災者を支援する『沖縄でニッポンを復興させる会』を設立し、 沖縄本島・中部の宜野座村(ぎのざそん)に、 福島第一原発事故の被害者など15家族受け入ることを発表しました。
この日、スローフード沖縄・奄美会長の田崎聡さんは、設立5団体の代表者とともに、沖縄県庁で記者会見を開催。会の設立と、宜野座村(ぎのざそん)による15家族受け入れが、新聞各社・テレビ各局で報道されました。→ Okinawa Zinoza 01 4月9日正午現在、沖縄在住の震災避難者は887人(朝日新聞調べ)。しかし、その多くは沖縄出身者や個人的な関係による避難で、自治体と民間団体が行う組織的な受け入れは、沖縄県では初めてです。避難者の住居費は、1年間無料(光熱費別)、那覇への航空運賃も無料(暫定5月末まで)。受け入れ農家での農作業のほか、休耕農地での耕作が可能です。
受け入れ先となる宜野座村は、那覇空港から沖縄自動車道経由で約1時間半。人口約5,500人の沖縄本島中部に位置する村です。阪神タイガーズのキャンプ地として知られ、また、漢那ダムをはじめ5つのダムがある沖縄の水瓶です。昨年3月、「有機の里」宣言をした宜野座村は、環境保全型農業を地域ぐるみで目指しています。したがって、環境保全型農業を目指す方たちにとって、うれしい場所です。
宜野座村エコ野菜研究会の志良堂貢さん(写真下・左)は、10年前から化学肥料を一切使わず独自の肥料を開発し、無農薬で野菜を栽培するために、在来種のクモやカエルを使って害虫の駆除をしています。「宜野座で、マッチョンドー(宜野座で、待ってるよ)」と、志良堂さん。また、3年前に農業研修で宜野座村に来た菅野里志さん(写真下・右)は、福島県出身。研修終了後、宜野座村に移住してイチゴなどを栽培しています。菅野さんは、JAの支援体制や行政のバックアップがしっかりしていて、移住を決意したそうです。スローフード沖縄・奄美の田崎さんは、「被災地と沖縄との交流を通して、第一次産業から復興につなげてゆきたい」と、語ります。
↓ 『沖縄でニッポンを復興させる会』(設立趣意書) Okinawa Ginoza 03
また、4月17日、那覇市久茂地のフレンチ・レストラン「メゾン・ド・フジイ」は、震災復興へ向けたチャリティー・ディナーを開き、売り上げを、スローフード沖縄・奄美を通してスローフード気仙沼の支援に寄付してくださいました。
追記:
この発表のあと、5月6日から10日まで、スローフード沖縄/奄美の田崎会長は原発からの避難所を訪れました。福島県双葉町の方たちが避難していた埼玉県加須市、おもに大熊町の方たちが避難していた福島県会津若松市、おもに富岡町と川内村の方たちが避難していた郡山市で、田崎会長はそれぞれの行政担当者へ被災家族の受け入れを説明しました。また、地元テレビ局や新聞などの取材も受け、原発災害に対するスローフードの対応のひとつを地域のメディアに示したのです。申込期限の5月末までに正式に移住を決めた家族はありませんでしたが、この受け入れ計画はいま「宜野座エコビレッジ構想」として発展し、継承されています。(→ginoza_120111)
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援③
スローフードベルリンからのたより
投稿日 2011年04月17日
4月13日、ドイツ・スローフードベルリンの料理研究グループは、 スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが「緊急アッピール」で訴えた<顔が見える相手への支援>に応え、 スローフード気仙沼を支援するため、 日本料理のチャリティー・ビュッフェを開きました。
(参照:緊急アッピール→http://www.slowfood-suginami.com/forum/etc/2011/03/1361/)
午後7時から、ベルリン中央駅のレストラン“ディークマンズ・アウスターンバー”で開かれた日本食のビュッフェには、約60人が集まりました。このイベントを呼びかけたのは、スローフードベルリンのメンバー河野直登・章子夫妻。日本料理の料理人の直登さんと料理研究家の章子さんは、20年以上ベルリンに住んでいます。そして、その二人を、スローフードベルリンのメンバーがサポートしました。
二人が中心になって作ったのは、かけ蕎麦(右上)、マグロのぬたソースかけ(右中)、わかめサラダ(右下)、うら巻き寿司(左下・上)、エビの春雨揚げ(左下・下)など、13種類の日本料理。河野さんたちスローフードベルリンのメンバーは、ほぼ毎月一回集まり、テーマを決めて料理を作っています。そのため、チームワークは抜群だそうです。日本のビュッフェ・パーティの味わいが、河野さん夫妻とベルリンのメンバーの手により、次々にベルリンで再現されました。
このチャリティー・ビュッフェで、集められたスローフード気仙沼への義援金は、約5000ユーロ(約55万円)です。また、参加者は、気仙沼の人たちへのメッセージを、ノートに書き込みました。これらのお金とノートは、スローフードジャパン・東京/神奈川ブロックが集めた義援金とともに、スローフード気仙沼の菅原理事長に直接手渡されます。被災者の方たちへの絆は、河野さんやスローフードベルリンの仲間たちから、日本のスローフードという<輪>を通して、気仙沼へつながってゆきます。
河野さんからのメッセージ 「今のベルリンの代表者、イエーガーさんも、これまでスローフードドイツにおいて、このように素晴らしいチャリティーは初めてだ、と感銘していました。これも、私の友達がみんなで協力をしてくれたおかげです。これを通じて、デモに参加をしたり、おいしい食べ物を探したりするだけではなく、募金をしたり、人と人とのつながりを作るスローフードに発展していってくれれば、私はうれしいです。
イエーガーさんいわく、新たな第一歩、です。私は外国人ですが、皆さんにとても良くして頂き、みんなの中に溶け込んでいます。人は外見、職業、年齢、出身、性別、個性を全く関係なしに、ひとつのもので結ばれるものです。
私は本当はくよくよ悩む性格なので、自分で前向きに、そしてポジティブな考えで物事をすることにしています。日本の被災者の方も、ご苦労がたくさんありますが、自分で自分を苦しめず、良い方向に向かって歩いて欲しいです。 河野章子」
Photo by Ulrich Greiner
Spender Name (募金をした人の名簿)
Shoko Kono / Naoto Kono / Henner Senf / Anke Lüdeling / Thomas Marek /Ulrich Greiner / Eckhard Kröger / Simone Zorr / Christian Zorr / Mario Gaideck / Silvia Gaideck / Bernd Schoppe / Jürgen Eifler / Michael Geier / Uwe Schmelter / Susanne Metz / Gabriele Hauptvogel / Reinhardt Knoop / Solitaire Hotel / Ulrich Rosenbaum / Rudolf Enste / Volkmar Dittberner / Jörg Kleuver / Stephan Thome / Thomas Nagel / Annette-Susanne Voigt / Klaus Stamner / Annette Sand-Greiner / Christina Greiner / Ulrike Rösler / Stefan Altekamp / Heidrun Wangnick / Siegfried Wangnick / Daniela Gogel-Schasler / Stefan Abtmeyer / Barbara Fischer / Alexandras Jussios / Giesela Scholtyssek / Wolfgang Scholtyssek / Lars Jäger / Joachim Sawitzki / Katrin Giersig / Junko Salzmann-Kawashima / Wolfgang Gandeck / Heike Wolf / Kai-Uwe Wolf / Horst Meier/ReinhardBarnsdorf
↓ Slow Food Berlin のこれまでの活動 http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2011/02/1286/ http://www.slowfood-suginami.com/forum/foods/2010/10/1142/ http://www.slowfood-suginami.com/overseas/2010/08/947/
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援②
チャリティー in 「座の市」
投稿日 2011年04月17日
4月16日、放射能汚染の風評被害を受ける福島県産のキュウリを、 スローフードすぎなみTOKYOは、劇場「座・高円寺」と共催して開く「座の市」で、販売しました。
販売したのは、スローフード福島のメンバー・斉藤保行さんがハウス栽培したキュウリです。斉藤さんのキュウリは、蕎麦カスなどを中心とした肥料や、昆布粉・トウモロコシの油カスなどを使った高級品。おもに、東京の有名デパートなどで売られていました。ところが、福島第一原発の事故により、福島県の農産物に放射能汚染の風評が広まりました。斉藤さんのキュウリは、「無添加食品販売協同組合安全センター」の調査で、安全面で問題がない、との結果が出ているにもかかわらず、販路を失いました。そこで、スローフード福島が支援を呼びかけたのです。
特定の商品などを買わず、社会的な抗議や主張を表す不買運動(ボイコット)は古くから知られています。しかし、最近、それとは発想を逆にした、フェアトレードなど、特定の商品を買って生産者やコミュニティーを支えるバイコット(BUYCOTT)の運動が盛んになっています。「味の箱舟」「プレシディオ」にみられるように、このバイコットは、スローフード運動を支える考え方のひとつです。二箱送られてきた斉藤さんのキュウリは、すぐに売り切れてしまいました。
「座の市」は、スローフードすぎなみTOKYOが、杉並区立の劇場「座・高円寺」や地元の商店街などと、昨年9月から始めた定期市場です。毎月一回、第3土曜日に「座・高円寺」のエントランス広場で開かれます。スローフードすぎなみTOKYOの呼びかけに応じ、スローフード福島・スローフード長崎・スローフード秦野が、出品しています。スローフード秦野からは、毎回、パン工房「レ・ルルド」の神保さんが来てくださり、早くも「座の市」の名物になりつつあります。また、スローフード長崎がいつも出品する「エタリの塩辛」(写真上・右)は、日本で初めて「味の箱舟」(アルカ)に登録された食品のひとつ。その「味の箱舟」を東京で買える場所が、この「座の市」です。また、今回スローフード福島は、斉藤さんのキュウリのほかに、「人気酒造」の<食べる酒粕><手造り味噌>(写真上・左)などを出品しました。遠方のコンビビウムからの出品は、スローフードすぎなみTOKYOが、委託販売をしています。
高円寺「座の市」は、杉並第4小学校の「味覚教育」とともに、スローフードすぎなみTOKYOの活動を支えるプロジェクトのひとつです。
なお、スローフードすぎなみTOKYOは、4月30日~5月1日に開かれる「高円寺びっくり大道芸2011」の復興支援チャリティーマーケットで、スローフード福島・スローフード茨城の協力を得て、風評被害に遭っている農産物を販売する予定です。
東日本大震災(東北関東大震災・東北太平洋沖地震) 支援①
スローフード秦野からのたより
投稿日 2011年04月17日
スローフード秦野のメンバー「石(いし)庄庵」の主人・石井貞男さんは、 4月6日、福島市内の避難所・福島商業高校で蕎麦を打ち、 被災者や支援者の方たちに提供しました。
石井さんと<石庄そばの会>の人たち12人が秦野を出発したのは、前日の午後9時。6日の午前3時半頃、東北自動車道最寄りのインターで仮眠し、午前8時頃、福島原発半径20キロメートルの住民約120名が避難していた福島商業高校の体育館に着きました。福島商業高校の避難所を選んだのは、「石庄庵」のお客さんに、福島商業OB会の方がいらっしゃって、学校と連絡を取ってくださったからだそうです。蕎麦粉25kg、70リットルの寸胴鍋数個、水、プロパンガスなど、蕎麦を作るために必要な材料・機材・調理器具は、すべて秦野から運びました。
石井さんは、昼食に合わせて200食の蕎麦を打ち、被災者の方たちだけではなく、警察・ボランティア・学校の教職員など、支援に当たっている方たち全員に、蕎麦を食べていただきました。また、同行した会員に整体師の方がいて、被災者の方たちの身体をほぐしたそうです。
「最初は遠巻きにしていた子供たちが、途中から体に触ってくるようになりました。大人たちは次の避難場所を選ぶのに忙しく(福島商業の避難所は、学校の授業が始まるために8日に閉鎖されました)、子供たちに相当ストレスがたまっているようでした」と、石井さん。石井さんは、避難所の人たちが、カップラーメンを食べているテレビの映像を見て、<自分にできること>を考えました。「それは、これからも自分が蕎麦屋をやってゆくために、必要なことでもあったのです」
美味しい料理は、食べる人に元気と希望を与えます。 それは、スローフードの理念のひとつです。
緊急アッピール!! 東日本大震災(東北関東大震災/東北地方太平洋沖地震)
投稿日 2011年03月14日
支援金の募集を始めます !!
すでにご存じのように、日本の歴史に未曾有の災害が刻まれました。
被災者・犠牲者の方に、心からお見舞い申し上げます。
・SF八戸 →SFよこはまのメンバーがSF八戸のメンバーと電話で接触、SF八戸のメンバーは全員無事の模様。
・SF岩手 →mixi によれば、メンバーは全員無事の模様。
・SF気仙沼 →理事長と直接連絡が取れず(*留守番電話)。その後、無事の情報が入るが、本人には確認が取れず(3月15日午前9時30分現在)。その後、3月15日午後3時15分、友人の方が、本人が家族とともに無事であることを、関係者の方に再確認した、との情報が入りました。
・SF宮城 →前SFジャパン事務局長(仙台在住)と直接連絡が取れず(*留守番電話)。SF帯広のメンバーがSF宮城の事務局長と電話で接触、SF宮城のメンバーの安否は不明。その後、前ジャパン事務局長から mail あり。
・SF福島 →SFすぎなみとSF TokyoBayのメンバーが、事務局長と電話で接触。メンバーは全員無事の模様(私への mail )。
・SF茨城 →理事長と連絡が取れず。
↓2007年に気仙沼で開かれた、スローフードジャパン第4回大会と「スローフードフェスタ」。中央の写真が、SF気仙沼・菅原理事長
__________________________________________________________________
みんな、元気だそう! 頑張ろう!
↓(ごめんなさい。埋め込み方がわからないので)
「東北地方太平洋沖地震」とその被害について
投稿日 2011年03月13日
3月11日午後に発生しました「東北地方太平洋沖地震」、その後の津波被害などで被災されました地域とお住まいの皆様に、心よりのお見舞いを申し上げます。
また、残念ながらお亡くなりになられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。
被災に遭われた地域には、スローフードのコンビビウム、仲間たちが大勢おられます。
2007年に、スローフードの全国大会を開催していただいた気仙沼。あの、美しい港町の風景が、津波によって無残に破壊されていく映像をテレビで見ながら、いたたまれない気持ちに教われました。
また、つい2週間前に今年の全国大会を開催していただいた八戸の街がどうなっているのか、とても心配な気持ちでいっぱいです。
さらに岩手、宮城、福島、茨城など、スローフードの仲間たちが無事であることを祈るばかりです。
世界のスローフードの仲間たちからも、安否を気遣うメールが多く寄せられています。
ピエモンテ州
投稿日 2011年02月28日
春の気配が感じられる近頃ですが、まだまだ寒い日も続いてますね。
そんな寒い日にはこってりとした料理が良くあいます。
私が通っているイタリア料理教室でも、ここ数ヶ月は生クリーム系の料理ばかりいただいています。
先日フランスからビジネス旅行で帰国した友人、とても疲れているはずなのになずか肌はつやつや。理由は毎日いやという程チーズ料理を食べさせられたから、らしいです。
「つやつやしているのではなく、脂ぎっているのよ!」との事でした。
寒い季節には北イタリア料理。北イタリアといえばカルロ・ペトリーニ会長の生まれ故郷、そしてスローフード発祥の地、ピエモンテ州があります。
ここでピエモンテ州の説明を少し。
ピエモンテの州都は皆さんご存知のトリノです。
北イタリアにはパダノ=ヴェネタ平野というのがあって、イタリア東西に長~く延びる平野で、肥沃な土地と水と交通の便からお米の産地としても有名です。リゾットってありますよね。北イタリアで良く食べられますが、南イタリア人はあまり食べないらしいです。
ゴルゴンゾーラチーズなんかも有名で、しかもガルダ湖より上はオリーブオイルがあまりとれないので、北イタリアのパスタ料理は生クリーム系が多くなります。
後はフランスとの国境があるので、ワインも有名。
イタリアを代表するワイン、バローロやバルバレスコなどの銘柄がそろう土地です。
そんな肥沃で素敵な土地からスローフード運動が発祥したというのも納得がいくことかなと思います。
生野菜を切って、オリーブオイルとアンチョビにんにくのソースでいただく バーニャカウダーもピエモンテの冬の家庭料理です。
土鍋をかけて暖めたソースにつけていただきます。
地元でとれるものを、その土地の風土にあった食べ方でいただくのって素敵ですね!
日本でも冬しか手にはいらないもの、たくさんいただきたいと思ってます。
(HPにも遊びに来てください。)
12.05 テッラ・マードレ・デー参加イベント
投稿日 2010年11月28日
スローフードインターナショナルは、昨年から、世界同時イベントとして、「テッラ・マードレ・デー」を提唱しています。これは、世界のスローフード支部(コンビビウム)が、“母なる大地”の食を通して、つながろうというものです。昨年は、生物多様性をテーマに、スローフード長崎の岩崎さんから、多様な固有種の大根や蕪を送っていただきました。今年は、それをさらにバージョンアップして、新たに『コメ』を取り上げます。果たして、どんな会になるやら……。参加される方は、何か一品、会場で料理を作るか、ご持参ください。あッ、それと飲み物もお忘れなく。
( ← 写真は、去年の様子)
期日:12月5日(日)終日 (出退場自由)
場所:新宿区四谷地域センター11F調理工作室http://www2.odn.ne.jp/~hao65350/about.html
会費:スローフードメンバー¥500円 非メンバー¥1,000円
PS:このところ時間がとれず、更新が停滞しています。ゴメンナサイ。
生物多様性条約第10回締約国会議への意見表明
投稿日 2010年10月19日
スローフードジャパンの生物多様性チームが中心となって、開催中のCOP10に向けて、スローフードとしての見解がまとまりました。19日には農林水産大臣と環境大臣に提出される予定です。
//////////////////////////////////////////
生物多様性条約第10回締約国会議への意見表明
生物多様性をめぐる状況と課題-種(たね)と味の多様性を守ることの重要性-
1.生物多様性をめぐる状況と議論について
(1)生物多様性をめぐる危機的状況と生物多様性条約第10回締約国会議の意義
地球上には、数え切れないほどの生物種が、それぞれの環境に応じた相互の関係を築きながら多様な生態系を形成している。その意味で、地球はきわめて多彩ないのちの賑わい、すなわち生物多様性に満ちた惑星といえる。われわれの暮らしは、その恩恵を受けて成り立っている。
生物多様性は、地域それぞれの環境や歴史により育まれている。従って、地域固有の歴史の中で育まれた生物がそれぞれにふさわしい環境で生き続け、健全な生態系が持続するように、人間の活動自体を自然に調和させることが必要とされる。
しかし、世界的に産業化・近代化が進展するにつれ、環境破壊など人間の活動の負の影響により、数多くの生物種が減少・絶滅の危機に瀕し、健全な生態系は崩壊し、生物多様性をめぐる状況は大変な危機に瀕している。
こうした中で、この度、日本の愛知県名古屋市において、10月18日から生物多様性条約第10回締約国会議が開催されるが、生物多様性の危機的状況を打開する上で、この会議の有している使命はきわめて大きいといえる。
(2)COP10などを契機とした日本国政府による広報活動と生物多様性を重視した農業への転換
翻って、第10回締約国会議の開催国である日本は、四季の変化に富み、四方を海に囲まれた島国であり、南北に国土が広がり、その中央を急峻な山脈が縦断し、全体として地形の起伏が大きい。四季の変化に富み、全体として豊かな森林に覆われつつ、多様な生態系など豊かな自然に恵まれている。そうした環境を活かして、地域性豊かな暮らしが各地で育まれ、営まれてきた。
しかし、特に第二次世界大戦後の高度経済成長を経て、大量生産大量消費の社会システムへと変化するとともに、環境破壊が進み、生物多様性をめぐる状況は急激に悪化している。
こうした中で、近年は、ようやく持続可能な社会への本格的な転換が模索され、生物多様性に関しても、2008年に生物多様性基本法が制定され、2010年にはこれを受けて生物多様性国家戦略2010が策定されるなど、危機的状況への対応が図られはじめている。
さらに、2010年10月にCOP10が日本の愛知県名古屋市で開催されることなどに伴い、これまで一般的になじみのなかった生物多様性に関する広報活動が政府関係機関などを中心に進められている。また、学者・研究者やジャーナリストにより、生物多様性に関する学術論文のみならず一般向けの著書や特集記事などの刊行が相次いでいる。そうした中で、日本において、生物多様性という言葉自体は次第に耳にするようになりつつある。しかしその内容については依然としてほとんど知られていない。このことは、生物多様性をめぐる状況が危機的な中で、きわめて由々しき事態であるといえる。
こうした中で、日本国政府は、COP10において、手つかずの自然における野生種の問題のみならず、農地や雑木林、ため池、草地など農村に広がる空間である里地里山に焦点をあてつつ、農業と生物多様性の問題について積極的に取り上げ、「生きものへのまなざしを取り戻そう」などをキャッチフレーズとして、有機農業をはじめとする環境と調和し生物多様性に重視した農業を推進することを唱っている。
実際、たとえば兵庫県豊岡市において、絶滅機危惧種であるコウノトリと水田農業の関係を再認識し、かつてのようにコウノトリを育む水田農業を確立し、地域社会を変革していく取り組みなど生物多様性を重視した農業の推進が各地で広がりつつある。こうした取り組みは、「農業は自然の営み(生物多様性と物質循環)に支えられており、農業の展開の中で自然は豊かになってきた。そしてたくさんの人々がその営みに参加してきた」という自然共生型農業などと表現できる農業観に基づき進められており、高く評価できる。
(3)野生種にとどまる生物多様性の対象の拡大と作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性を保全することの重要性
しかし、生物多様性の対象は、大変残念なことに、依然として野生種にとどまっている。作物や家畜は生きものとして捉えられていない。そのため、作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性が急激に失われていることは取り扱われず、その事実は全くといってよいほど知られていない。こうしたことの背景には、高度経済成長期以降推進された近代農業=工業化農業において、作物や家畜が命ある存在ではなく、生産性や経済性の観点からモノとして捉えられ、扱われてきたことに起因するのではないかと思われる。モノとして捉えられるうち、日本に暮らす人々の感覚も作物や家畜が命あるものとして認識できなくなったのではないか。そのため、スーパーに行って陳列棚に並ぶ大きさや色、形が画一的な野菜を見ても、不自然と思うどころか、そうでないと逆に納得しない人々が日本では大半になってしまったのではないか。
いずれにせよ、作物や家畜も命ある生きものとして捉え直し、生物多様性の対象として認識し、その遺伝的多様性や種の多様性が急速に失われていることをまず広く人々に知らしめる必要がある。
日本では、特に高度経済成長期以降、生産性や経済性を過度に追求した結果、生産者は自ら種を採ることをやめ、毎年、国公立農業研究機関や種苗会社など外部から種を買うのが当たり前のことになってしまっている。その結果、例えばダイコンが生産性に優れた青首の系統に急速に画一化し、各地にあった多種多彩な地ダイコンが消滅の危機に瀕するなど、生きた文化財である伝統品種・地方品種を次々に失っていき、作物の遺伝的多様性をほぼ喪失してしまっている。
こうした作物の遺伝的多様性の急速な減少は、第1に、近親交配による繁殖能力の低下をもたらし、やがては種の絶滅につながる可能性があることが人々に認識される必要がある。
第2に、1840年代において当時主食であったシャガイモの遺伝的画一化が招いたアイルランドの大飢饉のように、一度に特定の病虫害などにやられて食糧危機を招く可能性が危惧されることが広く知られる必要がある。さらにいえば、今日の作物の遺伝的画一化は、多くのケースで1840年代のアイルランドのジャガイモ以上の画一化が進んでいることが認識される必要がある。
第3に、伝統品種・地方品種は、地域の風土に根ざしたものであり、環境適応が進んでいるため、全般的に病虫害に強く、里地里山の保全をはじめとして農業における生物多様性を守り、育むのに適していることが認識される必要がある。
第4に、伝統品種・地方品種を基礎とした地域の個性的で多彩な食文化=味の多様性が危機に瀕していることが広く知られる必要がある。同時に、地域の個性的で多彩な食文化やローカルフードシステムが、伝統品種・地方品種を支えている。両者は相補的な関係にあるが、そのことがよく認識される必要がある。
(4)ジーンバンクの限界と生産者、さらには市民参加による作物および家畜の遺伝資源管理の必要性
作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性の低下に対しては、1960年代以降、作物や家畜など生物遺伝資源の収集・保存を行うジーンバンク(遺伝子銀行)などが各国に設立されてきた。たしかに、ジーンバンクによる対応は、将来の利用に資するために遺伝資源を集めるということ、つまり、遺伝的変異の喪失を防ぐという点では一定の効果をあげているといえる。
しかし、ジーンバンクによる保全は、実社会の生態系の中の遺伝資源の喪失には有効な手立てにはなっていない。また、そもそも、ジーンバンクに保全された遺伝資源の管理は基本的に国公立農業研究機関や大学で行われ、利用は研究者や種苗会社、食品・農業メーカーであり、一部の例外を除いて生産者、ましてや一般市民は排除されている。また、目的についても、なくなりつつある遺伝的な多様性を保全するというよりも、むしろ遺伝資源を将来の品種改良の素材に使うことにある。
長く伝統品種・地方品種を守り育んできた生産者は、先にも記したとおり、高度経済成長期以降、生産性や経済性を過度に追求した結果、自ら種を採ることをやめてきた。同時に、品種改良や保全を行うには生産者自らが行うのは効率的ではなく負担が大きい、品種の交雑が完全には防ぎにくいなど近代的な品種改良においては十分な設備や科学的知識がないなどの理由から、生産者は実際的のみならず、制度的にも品種の保全や改良から排除されるようになっている。国際的に作物や家畜の遺伝資源がきわめて重要な知的財産権の対象と見なされるようになる中で、いわゆる育成者権が強化されてきており、生産者が慣行的に無償目的で自家増殖を行って生産された種苗やそれによって得られた収穫物にも効力が及ぶようになってきた。日本における現行の種苗法の下では,「種苗法第21条第2項および第3項」で規定されるように、栄養繁殖などの制限が行われながらも生産者の自家採種による種子の自家増殖が依然として認められてはいるが、将来的には禁止される可能性があり、大いに危惧される状況となっている。
持続的な作物や家畜の遺伝資源の利用のためには,これまで歴史的に遺伝資源を利用してきた農民の中で行われることが望ましい。作物や家畜は農業生態系の中で必要な形質を発現・適応を続けることが明らかになっており、ジーンバンクのみの保全はこの適応過程を凍結することにつながる。こうしたことは、従来の伝統品種・地方品種のみならず、新たに風土に適した品種づくりを進める際にもあてはまる。従って、今後、生産者、さらには広く市民参加による作物や家畜ほかの生物資源の遺伝資源の利用・管理が必要といえる。
また、生きた文化財としての伝統品種・地方品種というとらえ方を深く掘り下げる必要がある。
2.農業における生物多様性をめぐる課題
こうした状況の中で、農業における生物多様性をめぐる課題としては次の9点が指摘できる。
第1に、生物多様性とは何か、なぜ今問題になっているのかを広く人々に知らしめる必要がある。中でも、農業における生物多様性、特に、作物や家畜の遺伝的多様性や種の多様性が急速に失われていること、そのことのもたらす危機的状況や原因などについて広く人々に知らしめる必要がある。
第2に、そうした多様性の喪失が、味の多様性の喪失をもたらしていることを知らしめる必要がある。
第3に、対応のあり方として、伝統品種・地方品種などでは、ジーンバンクではなく、実際の農地で保全を行う生息域保全の取り組みが特に必要となる。そのためには、生産者による自家採種など作物や家畜の遺伝資源保全に関して生産者、さらには市民の参加が必要であること、農業のあり方や食べ方、加工方法など食文化を含むまるごとの保全が必要となる。
そのためには、①種を守る基盤を再生するため、生産者の自家採種を基本としつつ、種を守っている人たちにスポットをあて、地域で守るべき伝統品種・地方品種のリストアップを行い、復活の取り組みを進めること、②伝統品種・地方品種の加工や料理の方法を掘り起こし、見直しつつ、広く伝統品種や地方品種の存在意義についての理解者を増やす取り組みを進めること、③風土に適した新たな品種づくりを生産者の自家採種をもとにして進めること、④こうした取り組みに積極的に都市生活者や消費者が参加すること、⑤食べ方や加工方法など地域固有の食文化の保全をあわせて積極的に進めることが必要である。
第4に、生産者の自家採種や品種づくりについては、近代農業が進められる中で、先に記したように、科学的管理が困難などの理由により、事実上否定されてきたが、生産者の主体性や農業の全体性の回復の問題を含めて、農業研究機関や種苗会社とは異なる生産者固有の技術や知識体系として再評価および掘り起こしを早急に行う必要がある。
2009年10月3日に日本において開催されたテッラ・マードレにおいて取りまとめられた呼びかけ文「農業における生物多様性の再生に向けて」(別紙)で示されているように、種(たね)を採り、守っていくという作業は実際には大変であるが、種を採って作物を育てることで作物への思いが深くなる。同時に、種(たね)から始まって、収穫し、花が咲きふたたび種(たね)に至るという作物の一生を知ることで、いままで見えなかった個性や特性、欠点などが感じられるようになる。作物の栽培技術を習得しても、種(たね)を自分で育成しなければ、その作物の個性を知って活かすことはできない。また、自家採種を繰り返すことにより、当該の品種の環境適応が進んで風土に適合したものとなり、病虫害などへの抵抗性が強くなる。
第5に、生産者、さらには市民による種(たね)を守るネットワークを形成して、やがて、国を越えた地球規模での種を守るネットワークに発展するように相互に交流し支援し合うこと取り組みを進めていく必要がある。
以上の課題について、スローフードでは、地域の大切な農産物や水産物、あるいはその加工品であるが、今日のような経済至上主義の社会的風潮の中では絶滅の危機に瀕しているものをリストアップし、必要な支援を行うアルカやプレシディオなど「味の箱舟」プロジェクトなどを長年進めてきた。今後は、日本において、このプロジェクトの充実を図りつつ、個々のアルカやプレシディオの生産基盤を強化し、アルカやプレシディオの生産者が地域を越えた相互連帯を進めていくこととしているが、そうした取り組みの重要が、広く知られる必要がある。
また、生産者と消費者とを結び付けることも重要性である。このことは、学校の菜園で自家採種を含む作物や家畜の生産を行い、生産された農産物を料理して給食に供するスローフードにおける食育の取り組みである「スクールガーデン」のような教育のプロジェクトを含む。また、農産物直売所や産直など、流通過程を短縮して生産と消費をダイレクトに結び付ける取り組みも重要である。
第6に、こうした取り組みの主体としての小規模生産者の重要性の認識が必要である。種(たね)や味の多様性を守るには、工業化農業の主役であり、過度に生産性や経済性を重視している大規模経営や企業的経営は適しているとはいえない。
第7に、地域の伝統的な食品加工業者や料理人の果たす役割の重要性の認識の必要と連携の強化、支援が必要である。地域の伝統的な食品加工業や料理は、長い歴史をかけて地域の風土、さらには農業と密接につながり、地域固有の食文化を形成してきた。従って、その存在は、地域の生産者にとっては元来密接で不可欠なものといえる。地域の食品加工業者や料理人と地域の生産者との連携を進めることにより、相補的な関係は強固なものとなり、同時に、生産から消費に至るフードシステムの距離を短縮することが可能となる。
また、地域の伝統的な食品加工業者や料理人は、固有の知識や技術、経験を有しているが、小規模生産者同様、経済至上主義の風潮の強い現代社会においては、絶滅の危機に瀕している。そのため、その知識や技術の継承、さらには後継者の確保を含めて食品加工業者や料理人への支援を行う必要がある。
第8に、地域の自然環境に適合し、生物多様性を重視した農業(さらには漁業)、食品加工、流通、さらには消費者の食卓に至るローカルフードシステムを、地域全体で支えてサスティナブルものに確立する必要がある。
第9に、種(たね)と味の多様性が守り、育まれて、はじめて、里地里山を含む農業における生物多様性の保全が可能となることがきちんと認識され、種(たね)と味の多様性の問題が生物多様性をめぐる議論の中心的な課題の1つとして位置付けられる必要がある。
第9に、以上の課題の解決のため、必要な公的支援が行われる必要がある。
スローフードとしては、山積する課題に対処するため、これまで以上に取り組みを強化することとしているが、生物多様性条約第10回締約国会議への意見表明として、種(たね)と味の多様性の重要性について、特段の提起を行うものである。
以上
2010年10月18日
スローフード国際本部 会長 カルロ・ペトリーニ
スローフードジャパン 会長 若生 裕俊
/////////////////////////////////////
農業における生物多様性の再生に向けて
現在の農業において、危機的に感じるのは、種が生産者の手から離れてしまっていることです。生産者の本来の姿は、種を自分で採ることを基本としながら、その土地や風土にあった作物を育て、守り、伝えていくことだと思います。
しかし、わが国では、特に高度経済成長期以降、生産性や経済性を過度に追求した結果、生産者は自ら種を採ることをやめ、毎年、種苗会社など外部から種を買うのが当たり前のことになってしまいました。
その結果、例えばダイコンが生産性に優れた青首の系統に急速に画一化し、各地にあった多種多彩な地ダイコンが消滅の危機に瀕するなど、生きた文化財である伝統品種・地方品種を次々に失っていき、作物の遺伝的多様性をほぼ喪失してしまっているように思われます。こうした作物の遺伝的多様性の急速な減少は、第1に近親交配による繁殖能力の低下につながり、やがては種の絶滅につながる可能性をもたらしています。第2に1840年代において主食であるシャガイモの遺伝的画一化が招いたアイルランドの大飢饉のように、一度に特定の病虫害などにやられて食糧危機を招く可能性をもたらしています。さらにいえば、今日の作物の遺伝的画一化は、多くのケースで1840年代のアイルランドのジャガイモ以上の画一化が進んでいることを忘れてはなりません。第3に伝統品種・地方品種に支えられた地域の個性的で多彩な食文化の消滅の危機をもたらしています。
さらに、生態系の多様性に関しては、生産性や経済性の過度の重視に基づく近代農業の下では、殺虫剤や除草剤などの様々な農薬が開発・使用され、作物以外の植物や昆虫、微生物は全て排除の対象となり、田んぼや畑が農作物と同時に生み出している多種多彩な動植物が存在の機会を失い、その多くの動植物が絶滅危惧種に指定されています。
作物の遺伝的多様性や種の多様性の低下に対しては、1960年代以降、作物遺伝資源の収集・保存を行うジーンバンク(遺伝子銀行)が各国に設立されてきました。たしかに、ジーンバンクによる対応は、将来の利用に資するために遺伝資源を集めるということ、つまり、遺伝的変異の喪失を防ぐという点では一定の効果をあげているといえます。
しかし、ジーンバンクによる保全は、生態系の中の遺伝資源の喪失には有効な手立てにはなっていません。特に国際機関などが集めた遺伝資源は国境を越えて運ばれたため、遺伝資源を持ち出された発展途上国からは厳しい批判が寄せられています。そもそも、ジーンバンクに保全された遺伝資源の利用は主として研究者であり、なくなりつつある遺伝的な多様性を保全するというよりも、むしろ遺伝資源を将来の品種改良の素材に使うことが目的であり、生態系にすむ人びとには直接の利益はありません。
何よりも深刻と思うのは、以上のような農業における生物多様性が急速に失われていることとそのことがもたらす危機的状況について大半の人が知らないことです。
こうした状況の中で、私たちは、スローフード運動において、農業における生物多様性の喪失の状況と大切さを広く知らしめ、種を守る取り組みを進めて農業における生物多様性を再生する取り組みの推進を呼びかけたいと思います。
そのためには、第1に種を守る基盤を再生するため、生産者の自家採種を基本としつつ、種を守っている人たちにスポットをあて、地域で守るべき伝統品種・地方品種のリストアップを行い、復活の取り組みを進めること、第2にわが国における種を守るためのネットワークづくりを行い、やがて、国を越えた地球規模での種を守るネットワークに発展するように、相互に交流し、支え合うこと、第3に伝統品種・地方品種の加工や料理の方法を掘り起こし、見直しつつ、広く伝統品種や地方品種の存在意義についての理解者を増やす取り組みを進めること、第4にこうした取り組みに積極的に都市生活者や消費者が参加することが必要と思われます。
種を採り、守っていくという作業は実際には大変です。とはいえ、種を採って作物を育てることで作物への思いが深くなります。とりわけ、種から始まって、収穫し、花が咲きふたたび種に至るという作物の一生を見ていくことで、いままで見えなかった個性や特性、そして少々の欠点などが感じられるようになります。
種を自ら守っていくなかで、その作物の個性を知ってより生かすことができます。自家採種に取り組み、深く種と向き合うようになると、稲穂やダイコン、大豆の1本1本に目を配るようになり、農業の面白さや奥深さをより一層感じられるようになります。そうした中で、突然変異株が発見され、地域の新しい品種が生み出されてきました。
種採りから始める作物づくりは、作物と会話ができ、想いが形にできる農業だと信じています。種が繰り返し繰り返し田んぼや畑で新しいいのちを受けるたびに、その風土に合ったいのち豊かな姿に変わっていきます。そうして生まれた種をあやし、作物の花と語るなかで、心をときめかされ感動すること、そして心から感動した気持ちを農業の場でどう表現できるのかということは、とても大切なことではないでしょうか。作物の花や種から、たくさんのことを学ぶことができます。
スローフードにおける取り組みとしては、すでに「味の箱舟」プロジェクトがありますが、このプロジェクトの充実を図りつつ、個々のアルカやプレシディオの生産基盤を強化し、アルカやプレシディオの生産者が地域を越えて相互に連帯を図る必要があると思います。また、アルカやプレシディオ以外に地域で守り育むべき作目や品種のリストアップを行い、復活の取り組みを進めることが必要と思います。
こうした取り組みは、スローフード運動でしかできないと思います。私たちは、わが国で初のテッラ・マードレを開催するにあたり、以上の取り組みを広く呼びかけたいと思います。
是非、一緒に、種を守る取り組みを進め、多様で多彩ないのちのにぎわいを取り戻していきましょう。
2009年10月23日
呼びかけ人代表:岩崎政利、遠藤孝太郎、長友姫世、秋元摩那、黒川陽子、川手督也
ザッケローニはさとうさん?
投稿日 2010年09月01日
久しぶりの投稿のあさみです。
サッカー日本代表の新監督が発表されました。
イタリアのセリエAのクラブの監督として活躍されている
アルベルト・ザッケローニさんという方です。
サッカー界では有名な方で、世界的な名監督の一人に数え
られる人だと思います。
この方の名前を見るたびに思っていたのですが、イタリア語
で砂糖を意味するズッケロの訛りではないかなぁと思う
のです。
つづりは監督の名前がZaccheroniで、砂糖がzucchero
語尾にniが付いて砂糖な人?
訛りでつづりが一つ変わるのはよくあることとして、
大目に見てもらえば、そんな気がしませんか?
ちなみに日本にいる有名イタリア人のジローラモさんの
苗字はパンツェッタでつづりはPanzetta、イタリアの
ベーコン(塩漬け豚ばら肉)のつづりはpancetta
苗字の由来って国の文化歴史が反映されていると思うの
ですが、食にこだわりのあるお国柄だからこんな名前が
多いとしたら、イタリア文化を理解する上でおもしろい
ヒントになるのかなぁと思いました。
全世界に紹介されたスローフードすぎなみTOKYOの活動
投稿日 2010年08月28日
スローフードの公式webサイト SlowFood.com(http://www.slowfood.com/)で、私たちの活動が写真入りで紹介されました。
Latest news |
以下、日本語訳です。
================================
最新ニュース 日本-19 AUG 10
行動するアイランド
すぎなみTOKYOコンビビウムは、口蹄疫に襲われた宮崎県の農家をサポートする行動を起こした。宮崎は、日本で二番目に大きく発展する地域だ。すぎなみTOKYOコンビビウムは、他の団体や若い農業活動家のグループと力を合わせ、“何かしよう、宮崎”(直訳)というイベントを組織した。その催しでは、伝統的な踊りや宮崎の物産販売、基金集め、農家へ送るフォトメッセージの制作が行われた。寄付を含めた収益とメッセージは、すべて宮崎の農家に送られた。
その伝染病の最初の感染は4月に確認され、すぐに日本南部の県に拡大した。政府は4ヶ月にわたり、宮崎の農家に彼らの家畜28万頭以上を屠殺するよう命じた。それは、日本の畜産史上最大の間引きであり、2000年に口蹄疫が発生したときより100倍以上の規模だった。
「最初、メディアはその事態を見過ごし、問題が過小評価され、対策が遅れました」と、すぎなみTOKYOコンビビウムのリーダー佐々木俊弥は語る。「しかし、多くの家畜に感染が拡大し、そのニュースは全国紙のトップページを飾りました。消費者はパニックを起こしましたが、それ以上に影響を受けたのは、小規模な農家でした」
「7月の終わりには、事態はきちんとコントロールされましたが、農家にとっては、ほんとうの挑戦が始まったばかりです。現在、政府から多少の経済支援があるものの、生産を出発点からスタートさせ、消費者の信頼を回復するのは容易ではありません」
「5月に、私たちは打撃を受けた農家と連帯するため、コンビビウムのウェブサイトで、メッセージを発しました。しかし、事態がさらに悪化したとき、私たちは、もっと実際的な何かをしたい、もっと具体的な方法で彼らを助けたいと思いました。それで、私たちは、とりわけ彼らが直面している事態に注目してもらうだけではなく、彼らの再起を助けるための基金を集めるイベントを行いました」
For more information:
Slow Food Tokyo-Suginami Convivium (Japanese only)
www.slowfood-suginami.com
いっぽう、日本のもっと西では、テッラ・マードレ参加者と「同志社有機農業塾」の学生たちが、7月に収穫祭を行った。
「同志社有機農業塾」は、同志社大学と、2004年のテッラ・マードレ参加者で日本の有機農業のパイオニア長澤源一の協力により2008年に設立された。
京都近郊の絵画的な農村にあるその学校には、多くのフルタイムの従業員、農業をやりたい人、たんに農業についてもっと知りたい人や家庭菜園を始めたい人が集まった。すでに50人あまりの卒業生がおり、今年は30人を超える人が登録した。年々働き手の老齢化が進み就農者が減るなかで、すでに6人の卒業生が専業農家を始めている。
催しには、卒業生たちが育てたベスト野菜を選ぶ目隠しの試食や、さまざまな方法で焼いたり調理された学校菜園の新鮮野菜を囲む食事などが含まれた。主催者は卒業生と在校生の交流を図り、学習を促進させるためにこのイベントを行った。
この学校の多くの学生や教師が、今年の秋のテッラ・マードレ世界大会に参加する予定だ。
For more information:
Doushisha University’s School for Organic Agriculture
Annalisa Lombardo
当日の詳細は、こちらから→ http://www.slowfood-suginami.com/forum/agri/2010/07/790/
↓ 7月24日「口蹄疫 高円寺チャリティーイベント」の様子
親睦会 at 代官山・イータリー
投稿日 2010年08月19日
昨日(18日)、休会していたメンバーの復帰と新入会員を迎えて、親睦会が開かれました。場所は、渋谷・代官山の「イータリー」。「イータリー」の本店(イタリア・トリノ)は、スローフードイタリアが全面的にバックアップしています。また、会場となったオステリアのシェフ・深谷政宏さんは、私たちのメンバーです。
スローフードすぎなみTOKYOとスローフードジャパン東京・神奈川ブロックは、今後、「イータリー」との連携を深めてゆきます。
生物多様性関連
投稿日 2010年08月18日
害獣・害虫・悪玉菌はヒトの価値判断なのですが・・・
また引用です。
紀伊民報(和歌山)記事 2010年8月17日
野生動物呼ぶ廃棄果実 7カ月で1300匹超確認
ミカンや野菜などの廃棄地が、野生動物の格好の餌場になっていることが、県果樹試験場(和歌山県有田川町)の調査で明らかになった。試験地には7カ月で延べ1328匹の野生動物が食べに来ており、95%がイノシシだった。試験場は「県内の農作物被害の半数はイノシシによるもの。獣害を減らすにはまず廃棄果実をなくすことが重要」と呼び掛けている。
県内では毎年約3億円に上る鳥獣による農作物被害が報告されている。その大部分は果樹で発生しており、対策として柵の設置や捕獲などが行われているが、一向に減る気配がない。以前から廃棄果実がその一因と言われていたが、今回の調査でその実態が明らかになった。
調査方法は、有田川町内にあるかんきつ類の栽培地周辺に、動物を自動感知するカメラを昨年3~9月に設置。撮影した画像を分析した。
イノシシの出没は299回で延べ1268匹。うち成獣は846匹だった。果実の廃棄が続く3~6月に多く出没した。7月以降は減少したが、それでも3日に1回以上出没しており、廃棄場所を餌場として認識していると考えられるという。腐ってスープ状になった果実を執拗(しつよう)に食べ続ける姿も確認された。夜間の出没が多く、午後6時から10時が全体の6割以上を占めた。人の活動時間を避けるためとみている。
一方、ニホンザルの出没は延べ56匹(13回)で、廃棄果実があっても出没しない時期があるなど偏りがみられた。新鮮な果実がない場合はほとんど出没しなかった。果実が大量にあっても執着して食べ続けなかった。出没は日中だが、人がいなくなる早朝や昼時、夕方に集中している。
食物の廃棄地が野生動物の餌場になっていることについて法眼利幸研究員は「かんきつ以外の果実、野菜、生ごみも、捨てたら餌付けになる。たとえ腐っていても、動物にとってはごちそうだということを認識してほしい」と話している。
いかにいかにと前進せよ!
投稿日 2010年08月18日
いつもいつも転載で恐縮です。朝日新聞HPから。
自民党も民主党も告発ばかりで「いかに」に弱いなと思いつつ。
↓↓↓↓↓
Tシャツに「この愚か者めが」 自民グッズ、人気上々
2010年8月18日11時39分
話題になった自民党Tシャツ。谷垣氏の似顔をあしらった「まじめですから」と丸川氏の言葉を引用した「この愚か者めが」
自民党が参院選向けにつくった党のPRグッズが今も売れ続けている。父親の育児休暇を進めようと候補者らが手首にはめた「8819(パパ育休)」という数字入りのシリコンリング(300円)、丸川珠代参院議員が民主党の強行採決時に叫んだセリフ「この愚か者めが」をあしらったTシャツ(1500円)などだ。
シリコンリングは党本部の売店などで7月末までに約4千個売れ、今月4千個を再入荷したという。折りたたみ式で、谷垣禎一総裁の似顔絵が入っているエコバッグ(500円)も5千個売れ、今月末に2千個を追加販売する予定。6月からこれらのインターネット通販を始めている。
同党では、かつて小泉純一郎首相(総裁)の人形付き携帯電話ストラップなどが飛ぶように売れたが、後の政権時代に作られたのは安倍晋三首相の携帯ストラップなどわずか。小池百合子広報本部長は相次ぐ「商品開発」について「(野党転落で)『お金ないなら知恵を出せ』という話題づくりです」と話す。
ただ、人気上昇中の小泉進次郎氏のグッズの開発は見合わせている。売れすぎると、「党や総裁PRという本来の目的」(党職員)がかすんでしまうというのも理由の一つのようだ。(星野典久)
スローフード沖縄・奄美からの便り
投稿日 2010年07月20日
スローフード沖縄・奄美が一昨年(’08年)に立ち上げた、NPO組織「食の風」の会報誌が発刊されました。この雑誌は大きさがA5版、値段は250円で書店の他に沖縄各地のコンビニ、「食の風」メンバーのお店にも置かれます。スローフードジャパンの会報誌はなくなってしまいましたが、この会報誌のような形態は参考になるのではないでしょうか? ぼくも最近、専門誌以外の雑誌は、書店ではなくコンビニで買うようになっています。ジャパンが新たな会報誌を企画するならば、従来の「形」での発行は実現しないでしょうし、先が見えています。印刷媒体の危機が叫ばれるなか、いま一番重要なのはメディア・リテラシーだと思います。
なお、「食の風」誌には、スローフードすぎなみTOKYOの味覚教育が紹介されているほか、生で食べられる沖縄伝統野菜、空心菜に似た「サラダエンサイ」の種が付録に付いています。
NPO「食の風」webサイトへはこちらから。http://www.shokunokaze.com/
色は匂えど・・・・・・
投稿日 2010年07月16日
わが家で育てている内藤トウガラシが、色づき始めました。夏の日差しを浴びて輝いています。これを使った料理が、どんな味になるのか? いまから楽しみです。いや、トウガラシですから辛いことには違いありませんが、その辛さにも<甘い><酸味が強い><フルーティ>など、色々あるそうです。かつて、トウガラシの原産地メキシコの市場で、トウガラシ屋さんの人に聞きました。メキシコには、「トウガラシ・ソムリエ」なんて人もいそうです。さて、ぼくに、辛さだけではなく内藤トウガラシの味がわかるかどうか?
面白ニュース(その2)
投稿日 2010年07月12日
雑談ですが・・・
【W杯】ご神託タコ、スペイン優勝も当てた ついに全勝100%の的中率
2010.7.12 06:36
ドイツ・オーバーハウゼン水族館のタコ「パウル君」は、優勝国のスペインも当て、これで南アW杯で予言した8試合すべて的中。「超能力タコ」も全勝で南ア大会を終えた。
確率で言えば256分の1。5勝2敗のドイツ戦7試合の結果を100%的中。おまけのスペイン-オランダ戦の結果も見事に当てた。
これまでパウルの勝敗予想には70分かかった例もあったが、10日に欧州中でテレビ生中継された決勝戦の予想は、わずか3分でスペインを選択。水族館関係者も「スペインの圧勝を予期させる」と話していた。
面白ニュースです。
投稿日 2010年07月09日
予言タコ、3位は「ドイツ」 優勝は…
2010年7月9日19時56分
3位決定戦はドイツの勝利と予測したタコのパウル=ロイター
ドイツのオーベンハウゼンの水族館で9日、スペインが優勝と予想したタコのパウル=ロイター
【ベルリン=松井健】サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でドイツの6試合の結果を予言してすべて的中させ、世界的に有名になった同国西部オーバーハウゼン水族館のタコ「パウル」は9日、決勝でスペインがオランダに勝利すると予言した。3位決定戦はドイツの勝利と予測。予言ダコの託宣は最後まで的中するか――。
ドイツ国内では複数のニュースチャンネルが、パウルが水槽内でどちらの国旗が付いた箱を選ぶのかを生中継。最初に予言を求められた3位決定戦では、しばらくウルグアイの箱の上にとどまった後、ドイツの箱に移動し、フタを開けて中に入れられた貝を食べた。しばらく休憩した後の決勝の予想では、すぐにスペインの箱を開けた。
パウルはドイツの勝敗をすべて的中させ、準決勝で敗れたドイツの一部ファンから「食べてやる」などと八つ当たりを受けたこともあり、今回の予言も注目されていた。ただし、パウルは2008年のサッカー欧州選手権では決勝の予言だけ間違えている。
当たるかどうか・・・・、楽しみ。
以上
スローフード秦野からのお知らせ
投稿日 2010年07月05日
ご挨拶
私たちスローフード協会のテーマであり、各国で実践していることの一つに「学校菜園の試み」があります。
これは スクールの校庭に菜園を作り、生徒も一緒に野菜を育て、収穫し、調理をして、みんなでテーブルを囲む。体験を通して「地元の旬を感謝しながら共に味わう幸せ」を子供たちに伝えていこうというものです。
世界の中でも食糧や水不足で給食も困難なアフリカでは、昨年、スローフード・ケニヤ支部が提案した≪学校菜園の試み≫が Ashoka(社会起業支援非営利組織)の農村コミュニティの改革として高く評価され、スローフード・ジャパンもこれを応援しました。
今年はアフリカ大陸初のワールドカップ開催の年ということもあり、アフリカが、いまクローズアップされています。
この機会に私たちも‘アフリカ’という大陸にもっと目を向けてみようと、 アフリカの音楽やトークライブ、青空マーケットなどのチャリティー・イベントを開催いたします。利益はスローフード・インターナショナルを通じて、アフリカの子供たちのための学校菜園の活動に役立てたいと思います。 秦野から吹く風に温かいご支援を賜りますようお願い申し上げます。
スローフード秦野 代表 中川璃々
主催: スローフード協会 秦野支部 共催: 秦野市立図書館 秦野市立桜土手古墳展示 後援: ガーナ共和国大使館 ケニア共和国大使館 神奈川新聞社 秦野市観光協会 (社)秦野青年会議所 (株)タウンニュース社
協力: スローフードジャパン東京・神奈川ブロック
詳しくは以下をご覧ください
地産地消・自産自消
投稿日 2010年06月24日
農薬汚染野菜が大量に出荷 中国、禁止農薬も放置
2010.6.24 16:48
野菜畑で農薬を散布する農民。中国では禁止農薬の使用が問題となっている=2月、中国・海南省三亜市(共同)野菜畑で農薬を散布する農民。中国では禁止農薬の使用が問題となっている=2月、中国・海南省三亜市(共同) 中国では使用が禁止されたはずの農薬が闇で流通し、野菜の殺虫剤などとして使用され、市場でも十分な安全検査が行われずに、農薬が残留した有害な野菜が大量に市場に出回っている。中国週刊誌「鳳凰週刊」最新号が農薬汚染の隠れた実態を特集で伝えた。
同誌によると、中国では4月だけで江蘇省常州、山東省の青島や日照で残留農薬野菜による食中毒事件が発覚。報道されないケースを含めると、中毒事件は日常的に発生している。
中国は2200以上の農薬メーカーが乱立し、年間200万トンを超える農薬を生産する世界一の農薬大国。農村では適正な農薬使用量の倍近く乱用され、有機リン系殺虫剤のメタミドホスやイソカルボホスなどは使用が禁止されたにもかかわらず、「生産と使用は暗黙のルール」となっている。(共同)
麦秋と内藤とうがらし
投稿日 2010年06月04日
こんにちは 浅見です。
気持ちの良い天気が続いていますね。
今朝、通勤時に普段通らない道を通ってみたら、大きな麦の穂が
ほんのりと色づいて、風に吹かれてバサバサと音を立てていました。
コメを収穫するのは秋だけど、麦は夏前に収穫するから麦を収穫する
この時期を麦秋と呼ぶのだと、昨年農家のおじいさんに聞いたことを
思い出しました。
この麦の畑で作業をしていた方に聞いたら、麦の種類は分からない。
家畜の餌にしたり、野菜の根元に敷くのに使う、と言ってました。
大昔は麦を食用で作っていた地域なのですが、やはり現在は食用の
麦を作っている農家は少ないようです。
ところで、スローフード江戸東京さんから頂いた内藤とうがらしの
つぼみが今朝ひらきました。
小さなつぼみがたくさんぶら下がっているので、これから楽しみです。
宮崎和牛を食いつくせ!! ~学生200人BBQ@多摩川~
投稿日 2010年05月27日
東京農大を中心とする大学生のグループが、以下のイベントを行います。SFすぎなみメンバーは、このグループと5月13日に高円寺で初めて会いました。そして、15日にスローフードジャパン 東京・神奈川ブロックが採択した<緊急アピール>、翌週からのマスコミによる一斉報道がきっかけとなり、彼らが「自分たちにできること」を考えた結果です。SFすぎなみは、彼らを応援します。
皆さんお誘い合わせの上、ご参加ください。
宮崎和牛を食いつくせ!! ~学生200人BBQ@多摩川~
【初めに】
今猛威を奮っている口蹄疫。毎日被害の状況が伝えられてきますが、意外と知られていないのが非感染農家の方。風評被害で宮崎牛の価格が半額近くまで下がっているにも関わらず、口蹄疫に感染していないために補助金がもらえず、大打撃を受けているそうです。
そこで僕たち学生に何か出来ることはないか?社会人よりも僕たちが勝っているものは何か? さえない脳みそを使っていろいろ考えた結果、僕はそれが“食欲”だと思いました。笑 現地のお肉を食べて消費量を伸ばし、それをメディアを使って大々的にPRすれば風評被害も軽減されるはず!そんなことを思って、このBBQを企画しました。
今回は“とにかく宮崎和牛をたんまり食べていただきたい。” そんな趣旨なので、参加費いっぱいいっぱい、一人500gもの宮崎和牛を用意します!宮崎牛を大量に卸売り業者さんから直接購入するためにできることで、通常ではありえない破格の値段です。 (気になる方は和牛相場をチェックしてみてください。) この値段でこんなに和牛を食べられる機会はまたとないので、この機会に是非ご参加ください! 宮崎のためになることを、美味しく・楽しく出来るなんて素敵じゃないですか^^? 以下、イベント詳細になります。
【詳細】
◆日時:6月19日(土) 11:00~14:00
※ 雨天中止(中止の際は前日18日(金)の20時までにご連絡させていただきます)
◆実施場所:和泉多摩川河川敷(小田急線和泉多摩川方面) 最寄り駅:小田急線和泉多摩川駅 ※現地集合 当日和泉多摩川駅に案内の者がおります。
◆持ち物(必要に応じて):帽子、タオル、日焼け止めクリーム、旺盛な食欲(※必須!)
◆参加費 学生:2500円 社会人:3500円 中学生~小学生:1000円小学生以下:無料
※参加費に含まれるもの:宮崎和牛500g、無農薬野菜(農業サークルより提供)、ソフトドリンク、BBQ資材代 ※今回、お酒はお出ししません。その分安くしていますので、とにかく肉!、肉!を全力で食べてください!!(お酒が必要な方は各人お持ちになってください。)
◆定員:200人 ◆申し込み期限:6月15日(火) 18:00
【申し込み】
参加される方は下記宛まで・お名前・参加人数・各参加区分(学生、社会人、中学生~小学生、小学生未満) ・連絡先の3点を下記までご連絡ください↓(ご質問もこちらで受け付けています。)
連絡先:miyazakibbq100@gmail.com ※イベントの変更連絡、当日連絡等はメーリングリストを作成し、そちらの方からお送りさせていただきます。
【イベント責任者】鵜澤佳史東京農業大学国際農業開発学科3年連絡先:yoshiu4423@yahoo.co.jp
<内藤とうがらし> 新宿・伊勢丹本店デビュー スローフード江戸東京からの便り
投稿日 2010年05月15日
新宿・伊勢丹本店の地下食品売り場に、スローフード江戸東京が復活を目指す<内藤とうがらし>がデビューしました。食品売り場に出店している8つの店舗が、内藤とうがらしを使ったオリジナルな和菓子や総菜を発売中(~18日まで)なのです。昨日の夕方、ようやく食品売り場を覗くことができました。
売れ行きは好調なようで、限定品ということもあってか、8店舗中6店舗はすでに完売。そこで、文明堂新宿店の「御笠山」を買って試食しました。白餡に白味噌と内藤とうがらしを練り込み、特製の生地で包んだ特製「御笠山」は、甘さよりも味噌の風味が引き立ち、その後に唐辛子のピリ辛がやってきます。これなら、日本酒のすっきりした大吟醸の「肴」にもなるなァ、と感じました。
このスローフード江戸東京と伊勢丹本店のコラボレーションは、日経新聞5月7日首都圏版でも取り上げられています。(記事の写真をクリックすると、内容が読めます)。
<内藤とうがらし>の苗は、今日、旧四谷第四小学校で、地域の人たちの配られます。また、伊勢丹本店の7階でも、今日と明日、希望者に苗が配られます(先着300本限定)。私たちの仲間であるスローフード江戸東京の<内藤とうがらし>プロジェクトを、これからも応援してゆきます。
<内藤とうがらし>プロジェクト
暖まるお茶、冷えるお茶
投稿日 2010年05月14日
あさみです。
最近すっかり暖かくなってきて、八十八夜も過ぎて
新茶の季節になりましたね。
昨年のすぎなみの忘年会で清水茶寮の白井さんから
うかがったお茶の話がとてもためになった、というか
気付きの多い話だったので思い出しながら書いてみます。
煎茶は主に夏前に採れる新茶や二番茶くらいまでを使う。
番茶は夏の終わり頃に採れる三番茶や四番茶を使う。
夏前に採れる煎茶は体を冷やす作用があり、秋前に
採れる番茶は体を温める作用がある。
冬に煎茶を飲むのは昔はあまりしなかった、というような
お話しだったでしょうか
旬のものは一番栄養があり、また体にも良いと言いますが
なるほど、永年飲み続けているお茶にはそれなりの効用が
あるんだなぁと驚いたことを思い出しました。
スローフード高知からの便り
投稿日 2010年05月04日
スローフード高知の上田さんから送られてきた新聞記事の切り抜きを、紹介します。内容は、昨年12月の「テッラ・マードレ・デー」に関してです。写真を拡大してお読みください。
森田さんの紹介記事
投稿日 2010年04月28日
私が愛読しているウェブサイト「すぎなみ学倶楽部」の最新号で森田さんが紹介されています。写真はやや照れ気味ですね。URLは
http://www.suginamigaku.org/content_disp.php?c=445de0bbe0b29&n=3
日本昔話①
投稿日 2010年04月22日
各位
ご参考まで。創作文ではありません。引用文であります。恐縮です。
◎○☆□◇△▽◎○☆□◇△▽
①長崎県の時津町に、打坂(うちざか)という急勾配の坂があります。そのバス停のそばに建てられている記念碑とお地蔵さんの前では、毎年慰霊の行事が執り行われています。
②昭和24年のことです。地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、この坂を登っていました。坂の半ばに差しかかったとき、突然エンジンが故障し、バスは止まってしまいました。運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンを掛け直そうとしましたが、ブレーキが利かない。補助ブレーキも前進ギアも入りません。三重のトラブルが重なって、バスはズルズルと後退し始めたのです。そのバスには、鬼塚道男さんという21歳の若い車掌が乗っていました。
③運転手は彼に大声で、「鬼塚、すぐ飛び降りろ。棒でも石でも何でもいい、車止めに放り込んでくれ!」と指示しました。鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、目につくものを車輪に向かって片っ端から投げ込みました。しかしバスは止まりません。乗車のほとんどは、原爆症の治療に通うお年寄りと子どもたちで、脱出はとても不可能です。その間にもバスのスピードは見る見る上がっていきます。坂の下は崖でした。ガードレールもなく、落ちればバスは大破します。崖まであと10メートル、5メートル・・・。全員が観念したところで、バスは奇跡的に止まりました。
④我に返った運転手は、鬼塚さんがいないことに気づきます。まだ車止めになるものを探しているのかと思い、乗客と一緒に探し始めます。ふと、バスの後のほうを見て思わず息をのみました。そこには何と、後車輪に身を投げ、自ら車止めになっている鬼塚さんの無惨な姿があったのです。内臓破裂ですでに息を引き取っていました。乗客は鬼塚さんを戸板で運びながら、「この方は仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」と口々に言い、涙に暮れました。 貧しい時代で何もしてあげることができず、また、鬼塚さんの死は、一部の人にしか語り伝えられなかったため、次第にその出来事は忘れ去れれようとしていました。
⑤24年後、乗客の証言にもとづいて、その事件が小さな新聞記事になりました。それをたまたま目にした長崎自動車の社長は、大変なショックを受けました。「こんな立派な社員がいたことを、われわれ役員が忘れてはいけない」。そう考えた社長は、その日のうちに役員会を招集し、会社で打坂のそばに記念碑とお地蔵さんを建てて供養することを決めました。
鬼塚さんの供養祭は、いまでも続いています。
おしまいです。
食糧自給率の<不思議>
投稿日 2010年04月07日
なぜか無視される「生産額ベース自給率65%」という数字
生産額ベースでなら、「我が国の食料自給率は70%あり、主要先進国と比べてもそんなに悪い数字ではない」と発表することもできますね。ちなみに、生産額ベースの自給率が100%を超えるのは、単純に食料の輸入額を輸出額が上回っているからです
図版デザイン/坂井大輔
「日本の食料自給率はたったの40%!」…こんな報道を耳にしたことはないですか? 農業や食糧問題を論ずる際、必ずといっていいほどこの「自給率」が引き合いに出されます。でも、自炊してる人はわかると思いますが、スーパーの棚に並んでいる農産物はだいたい国産なんですよね。農家で大量廃棄される野菜がニュースになったりしますし、コメにいたっては長年減反政策がとられています。どうも一般的な生活実感とズレているように見える自給率ですが、いったいどういう数字なんでしょう?
農林水産省によれば、食料自給率とは「国内の食料消費が、国内の農業生産でどの程度賄えているかを示す指標」で、個別の品目によらない総合的な自給率を表すものとして「カロリーベース総合食料自給率」と「生産額ベース総合食料自給率」があります。で、広く世間に流布しているのは「カロリーベース」の方。計算式にすると、
1人1日あたりの国産供給カロリー ÷ 1人1日あたりの供給カロリー
となり、最新値である2008年の数字を見ると、分子が1012kcal、分母が2473kcalで、自給率は41%です。一方の生産額ベースは、
食料の国内生産額 ÷ 食料の国内消費仕向額(国内で消費される食料の生産額)
で、同じく08年の数字なのに分子10.0兆円、分母15.3兆円で自給率65%と、ずいぶん高くなります。しかし、こちらの数字が表立って報道されることはほとんどありません。もともと食料自給率は、1965年から生産額ベースだけで発表されていたのに、83年にカロリーベースがひょっこり現れて以降、生産額ベースの自給率はすっかり影が薄くなってしまいました。結果、「40%」という数字だけが刷り込まれ、国民のあいだには漠然とした自給率への不安が募り、農水省には巨額の「自給率向上対策費」が割り当てられるようになりました。
そもそも、我が国では「自給率」が幅を利かせていますが、実は自給率を計算しているのは日本と韓国だけで、諸外国ではまったく問題視されていません。よく日本と比較される主要先進国のカロリーベース自給率も、農水省がFAO(国際連合食糧農業機関)の統計から“独自に”はじき出したものです。さらにいえば、日本の数値が高めに出ている生産額ベースでの各国比較は、不自然なほど話題になりません。まるで「日本は先進国中最低の自給率!」といいたいがためのデータのような、作為的なものを感じてしまうんですよね…。
webR25 2010.03.30 より転載
スローフード沖縄・奄美からのお知らせ
投稿日 2010年04月06日
スローフード沖縄・奄美代表の田崎さんとメンバーの大浜さんが、沖縄の伝統食材を使った「オキナワン・ピンチョス」(ちょっとお洒落な肴)のレシピ集を発行しました。大浜さんのお店「泡盛楽園」は、ぼくが那覇に行ったときに立ち寄る定番のお店です。4月11日(日曜日)午後1時から、銀座の沖縄県のアンテナショップ「わしたショップ」で、そのレシピの試食会が開かれます。案内は下記をご覧下さい。佐々木さんとぼくは、参加する予定です。御都合のつく方は、是非、ご来場下さい。
天然うなぎ 野田岩
投稿日 2010年04月05日
4月というのにこの寒さ・・・
神谷町にある天然うなぎ屋さんの野田岩でランチをして心身ともに温まりました~♪
(ちなみに、天然うなぎを頂けるのは4月~12月です)
野田岩
住所 : 東京都港区東麻布1-5-4
電話 : 03-3583-7852
営業時間 : 11:00~13:30、17:00~20:00
定休日 : 日曜日
交通手段 : 地下鉄大江戸線赤羽橋駅、又は日比谷線神谷町駅より東京タワー方面へ徒歩5分