脚本家倉本聰さんの「富良野塾」
投稿日 2010年04月06日
カテゴリー フォーラム, 食育・味覚教育の話題
あさみです。
今朝の読売新聞の編集手帳が印象的だったので転載します。
予備知識無しに生きたニワトリ渡されたらパニックになりますよね。
「いただきます」という言葉の意味を考えるということにも繋がりそうです。
塾には「原始の日」があったという。その日は電気もガスも使えない。焚(た)き火のパーティーでは塾生の各班に生きた鶏をあてがい、調理させた◆脚本家の倉本聰さんが私財を投じて北海道富良野市に開いた「富良野塾」である。自分でシメるんですか! 倉本さんの随筆集『左岸より』(理論社刊)によれば、当初、塾生たちは生きた鶏に恐慌をきたしたらしい◆塾生が浴びた倉本さんの言葉を。「シメル。血抜きをし、毛をむしり、ケツから手を入れて内臓を取り出す。残酷だなんて逃げるな。その作業をいつも誰かがやってくれていたんだ。食うだけ食っといて残酷だなんて言うな。罪の意識にさいなまれたら祈れ。こういう時のために神様はいるんだ」◆脚本家と俳優を養成する以上に、共同生活を通して人間を養成する、生き方を学ぶ塾であったろう。この26年間に300人以上もの卒業生を世に送り、「富良野塾」が一昨日で閉塾した◆巣立った若者たちのなかからいつか、土の、汗の匂(にお)いのするドラマを書く人、演じる人が現れるだろう。『北の国から』の五郎や草太がまとっていた、あの匂いのする。
(2010年4月6日 読売新聞編集手帳より転載)
新聞記事の転載が続いたので、次はなにか書きます。
コメント
コメント(1) “脚本家倉本聰さんの「富良野塾」”
倉本さんの本を作ったことがあり、富良野塾にも何回か行ったことがあります。
友人の弟も、第何期かの塾生でした。
麓郷の大地の谷間に、ちょっと隔離された「合宿所」のような所でした。
倉本さんは、塾で、芝居というよりは、若い人たちに、人としての生き方そのものを教えていたようです。
人としての生き方の先に、初めて<芝居が見えてくる>・・・・、そんなことを感じたものでした。
現代社会・工業化社会、金融資本主義社会が、人間を疎外してゆくなかで、自らの人間性を取り戻し、そこから演劇という表現活動を見据えるためには、あの富良野の大地の厳しさと美しさ、優しさ、そしてそこに生きる人たちのしたたかさ、喜び、怒り、悲しさを知る必要がある、と倉本さんは考えたのではないでしょうか?
それはまた、脚本家・倉本聡の表現活動の基盤です。
(ちなみに、仕事の関係上、ぼくは「北の国から」を全編VTRで観ました)
富良野塾が成功したかどうかには、あまり興味がありませんが、多くの人を巻き込んだ(なかには傷つき、挫折した人もいます)、壮大な実験だったことには、違いないと思います。